ここから本文です。
小山遺跡現地説明会資料
遺跡の概要
小山遺跡は、羽曳野丘陵から北に延びる段丘の北端部に位置し、低位段丘と河内低地に抜ける谷部に広がる遺跡です。これまでに藤井寺市教育委員会が実施した調査では、縄文時代の土器や古墳時代の竪穴建物、古代の流路が確認されています。また、本調査区の北西では5世紀後半から6世紀前半の円墳(西代1号墳)と方墳(西代2号墳)が確認されています。
大阪府教育庁文化財保護課は、一般府道大阪羽曳野線(八尾富田林線)の建設に先立ち、令和8年5月から発掘調査を実施しています。
調査成果
今回公開する調査区では、墳丘を削平された古墳が3基(古墳1・2・4)、古墳の周溝と考えられる溝が1条(古墳3)見つかりました。
古墳1は全体の形は不明ですが、墳丘の長さは9m以上です。周溝は、深いところでは約60cm残っており、溝の底から大刀形(たちがた)埴輪や蓋形(きぬがさがた)埴輪、円筒埴輪の破片が見つかりました。周溝には、レンズ状に薄く堆積した砂や粘土の層の上に、埴輪の破片やブロック状の土の塊を含む層が分厚く堆積しています。古墳2~4も同様で、これらの古墳の墳丘は後世に破壊され、溝も埋められてしまったと考えられます。古墳2は、墳丘の長さ一辺約7mの方墳です。古墳の主軸は西に約30°振れています。古墳2の周溝は深さ30cmほど残っており、底から須恵器(すえき)や土師器(はじき)、石製紡錘車(ぼうすいしゃ)が2点見つかりました。古墳3は、現在は周溝の一部のみが見つかっており、墳形などの詳細はまだわかっていません。周溝からは古墳2よりやや古い時期の須恵器が見つかっています。古墳4は、墳丘の長さ約7.8mの方墳です。周溝は深さ20cmほど残っており、周溝の底から埴輪や須恵器の破片が出土しました。須恵器は古墳2より新しい時代のものと考えられます。
古墳の上の層には埴輪の破片や飛鳥時代から奈良時代の土器が含まれており、古墳が削平されたのは飛鳥時代から奈良時代の間の可能性があります。その後は、中世から近世の土器が含まれる耕作土が堆積しており、古墳が削平されてから、調査地は耕作地として利用されていたことがわかりました。
まとめ
小山遺跡内ではこれまでに、小規模な古墳が複数確認されています。周辺には津堂遺跡、津堂城山古墳、丸山・平塚古墳など、古墳時代の重要な遺跡が数多く位置し、さらに、南東には5世紀を中心に古墳の造営が盛んにおこなわれた古市古墳群が広がります。この度の古墳の発見は、当該時期のこの地域の土地利用や、周辺の古墳との関係性を考える上でも重要な成果といえるでしょう。
★現地説明会資料はこちらから→小山遺跡現地説明会資料(PDF:1,525KB)