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牧水口(まきみずくち)遺跡
遺跡:牧水口遺跡(まきみずくちいせき)
所在地:豊能郡豊能町牧地内
時代:中世
調査期間:令和7年5月から11月
主な遺構:中世の井戸、柱穴
主な遺物:瓦器、須恵器、滑石製石鍋など
牧水口遺跡の概要
牧水口(まきみずくち)遺跡は北・東・南の三方を鴻応山とそれに連なる鴻応山山塊、西を妙見山に連なる妙見山山塊に囲まれた山あいに位置する集落遺跡です。当該地域の歴史については、中世末期以前のことは詳しいことがわかっていませんが、鴻応山山塊東側の寺田では中世の集落遺跡である寺田遺跡の所在が明らかになっており、牧の開発も鎌倉時代頃から進められていたものと推測されます。

【図】調査地点位置図(●が調査地点)
調査の結果
令和7年度は、府営農村総合整備事業に伴って調査を実施しました。調査の結果、中世に機能したと考えられる井戸3基と柱穴等を検出しました(写真1)。

【写真1】調査区俯瞰(上が北)
基本層序は、第1層は層厚0.2メートル程度の現代耕作土で、第2層は現代の盛土でした。層厚は0.2~1.8メートル程度です。第3層の層厚は0.3~1.0メートルありました。この層は礫や土器片を多く含み、12~13世紀の瓦器や須恵器に加え、16~17世紀頃と考えられる陶器や土師器も混在することから整地の際の盛土と考えられます。第4層は橙色粘質土の地山でした。
井戸1(写真2)は径2.0メートル、深さ1.6メートル、井戸2(写真3)は径1.3メートル、深さ1.4メートル、井戸3は径1.5メートル、深さ2.6メートルと比較的規模の大きい井戸と言えます。井戸枠はいずれも遺存しておらず、素掘り井戸と思われます。柱穴は3基並んで検出しました。
それぞれの井戸からは12~13世紀代の瓦器や土師器が出土し、12~13世紀代に使用された井戸と考えられます。
【写真2】井戸1埋土堆積状況
【写真3】井戸2埋土堆積状況
まとめ
第3層からは12~13世紀の瓦器や須恵器に加え、16~17世紀頃と考えられる陶器や土師器も混じることから、16~17世紀代に、12~13世紀代の集落があった場所を切土し、当該地に盛土が行われたと推察されます。南西に向かって落ち込む地形に、近世から現代にかけて盛土を行い、耕作地を確保していたことがよくわかります。
3基の井戸からは12~13世紀代の土器が出土したことから、井戸の使用時期も同時期と考えられます。また、柱穴は3基連なっており、柵列と考えられます。
今回の調査では、当該地は集落の周縁部分であり、12~13世紀の集落の中心は山側に立地していたことが推察され、牧地区における開発の様相を知る手がかりが得られました。

【写真4】調査区遠景(北西から東)

