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「銀寄」くり
能勢町のくり栽培の歴史は古く、文禄年間(1592年~1595年)に米の代わりに食用に供されたという記録があり、今から約400年前にはすでに栽培されていました。
能勢町で江戸時代中期の宝暦3年(1753年)、歌垣村倉垣(現能勢町倉垣)の人が広島から持ち帰ったくりを植えたところ、そのうちの一本がとても良い実をつけたので、この樹を近隣に広めました。
そして天明・寛政(1781年~1800年)の頃、歌垣村で大干ばつがあり、村人がこのくりを丹波国亀山に出荷したところ、多くの銀札(当時のお金)を得ることができました。以来、「銀を寄せる」という意味で「銀寄」と呼ばれるようになったといわれています。
現在でも、能勢町では、「銀寄」を中心とした品種が植えられていて、町内の至る所で「くり」の樹を目にします。

能勢町のくりの歴史は決して平たんではありませんでした。
昭和23年頃からは、害虫のクリタマバチの大発生によって多くのくりが枯れてしまいましたが、銀寄等はクリタマバチに強い品種だったために全滅は逃れることができました。しかし、せっかく生き残っても、被害を受けた樹の伐採と人手不足のために荒廃していく栗園もありました。
そのような中、昭和40年代には、集出荷場、選果機や選果場、冷蔵貯蔵庫等の施設が整備され、流通面が大いに改善され販路の拡大につながりました。また、くり拾いのような観光農業も行われるようにもなりました。さらに昭和57年(1982年)から、能勢町では「のせ栗まつり」が開催され、くりの消費拡大に力が注がれています。

また昭和60年頃、栽培面ではカツラマルカイガラムシの大発生によって、くりの樹が枯れていく事態にも見舞われました。そこで、能勢の農業者はくりの樹を大きく切り戻す「カットバック」という方法でカツラマルカイガラムシの被害を抑える努力を続け、くりの樹を守ってきました。
幾多の苦難を乗り越えて、平成10年頃までは残っていた「銀寄」くりの原木も、現在では枯れてしまいましたが、能勢町には、「銀寄」を中心としたくりを守る活動がなされています。能勢町の方たちは、原木から「接ぎ木」したものを母樹として保護する活動をしたり、小学校で銀寄をはじめとする栗についての授業を毎年されております。「銀寄」の授業を通して小学生が成長して大人になってからも能勢の「銀寄」くりを大事にしてほしいと語っておられます。
「銀寄」は、現在でも能勢町のくりの主力品種です。他のくりに比べて大粒で、平たい形をしており、甘みが強く風味豊かで、上品な甘みが特徴です。
外観上は、表面に艶があり、底の部分との境界が太くくっきりしている傾向があります。9月下旬から10月上旬にかけて収穫されます。貯蔵性がやや劣るため、生食用や渋皮煮などに向いています。
能勢町での長い栽培の歴史がある「銀寄」くりをぜひ味わっていただいて、これからも能勢町で美味しい「銀寄」くりの栽培が続けられるように応援してください。
▼能勢町の「くり」を購入できるおすすめの店舗▲
■「道の駅 能勢(くりの郷) 能勢町観光物産センター」 
・住所 能勢町平野535〕
・営業時間 9時00分~17時00分
・定休日 火曜日(祝日の場合は翌平日休、7月〜10月は無休)
・ホームページ https://www.michinoeki-nose.jp/
・電話 072-731-2626
・詳細については、ホームページやお電話などで
ご確認ください。
■能勢けやきの里 
・住所 能勢町地黄2240
・営業時間 9時00分~16時00分
・定休日 木曜日
・インスタグラム
https://www.instagram.com/nosekeyakinosato/
・電話 072-741-9563
・詳細については、お電話などでご確認ください。