太井遺跡

更新日:2022年3月23日

太井遺跡(たいいせき)

 

所在地:堺市美原区北余部

種類:集落跡

時代:古墳時代

調査期間:令和2年8月から令和2年10月

主な遺構:古墳時代の掘立柱建物、自然流路

主な遺物:須恵器(すえき)、土師器(はじき)

太井遺跡は堺市美原区北余部に所在し、西除川右岸の低位段丘上に立地しています(図1)。

位置図

図1 太井遺跡の位置

 太井遺跡は古墳時代から中世(鎌倉時代・室町時代)にかけての遺跡です。付近を走る阪和自動車道の建設の際などに、古墳や古代の鋳造工房跡などが確認されています。今回の発掘調査は、大阪府立農芸高等学校水禽舎新設工事に伴い約730平方メートルを対象として実施し、古墳時代の掘立柱建物、自然流路を検出しました。

1区全景

写真1 1区全景写真

2区全景

写真2 2区全景写真

古墳時代の掘立柱建物(写真3) 古墳時代後期に建てられたと考えられる掘立柱建物を1棟検出しました。現状判明している建物の規模は、南北2間(3.5m)、東西2間(2.8m)です。柱穴は直径25から40cm程の円形で、柱穴間の距離は南北が0.9から2.0m、東西が1.5から1.6mを測ります。遺物は須恵器の破片が出土しています。

掘立1

写真3 掘立柱建物01検出状況(南西から)

自然流路(写真1・2・4) 調査区の南東から南西に向けて流れる自然流路を検出しました。調査区内で検出した長さは26.7m、幅8.2から9.7m、検出面からの深さ46cmを測ります。遺物は須恵器や土師器が大量に出土しており、特に2区の北西では残存状態の良い土器を多く検出しました。これらの遺物から自然流路が機能していた時期は古墳時代後期と考えられます。

土器出土状況

写真4 自然流路土器だまり(北から)

土器だまり出土須恵器・土師器

写真5 自然流路土器だまり出土須恵器・土師器

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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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