名越遺跡

更新日:2023年4月3日

遺跡:名越遺跡(なごせいせき)

所在地:貝塚市清児(せちご)地内

種類:集落跡

時代:中世

調査期間:令和4年5月から12月

主な遺構:中世の井戸、土坑(どこう)、鋤溝(すきみぞ)

主な遺物:土師器(はじき)、須恵器(すえき)、瓦器(がき)、青磁(せいじ)、瓦、石器

 

●名越遺跡の概要

 名越遺跡は、貝塚市近木川(こぎがわ)右岸の中位段丘上、標高32mから38mの地点に所在する遺跡です(図1)。以前から遺物散布地として認識されてきましたが、大規模な発掘調査は行われていませんでした。

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   図1  調査地点位置図

 大阪府が行う都市計画道路泉州山手線の建設に先立ち、文化財保護課が令和3年度に確認・試掘調査を実施し、遺跡の範囲外からも中世の遺構・遺物が出土したことから、名越遺跡を拡大することになりました。

 今回の発掘調査は上記の成果を受けたもので、約3900平方メートルを対象として実施し(写真1)、鋤溝群が検出された遺構面(第1面)と、井戸・溝・土坑群が検出された遺構面(第2面)の上下2面を確認しました(写真2)。

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         写真1 調査区全景(第1面、上が北)                            写真2 調査地遠景(第2面、南西から)

■第1面 

 第1面では、鋤溝が検出されました。鋤溝は、近木川と並行するものと、それに直交する2種類が発見されています(写真3)。調査区の東側に集中しており、水路を挟んだ東西で鋤溝の方向が変化します。西に向かうほど遺構は少なくなり、標高の高い東側の土地を耕作地として利用していたことがわかります。遺物として土師器や須恵器、瓦器、青磁が出土しました。鋤溝内や包含層からは13世紀から14世紀の瓦器椀が多数出土しているため、鋤溝は鎌倉時代から室町時代にかけて耕作に伴い残されたものと考えられます。

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                         写真3 第1面鋤溝(左:調査区東側、右:調査区西側、北から)

■第2面

 第2面からは、井戸や溝、土坑が検出されました(写真4)。井戸は丸い河原石を井戸枠に用いて作られており、3m以上の深さがありました。また調査区内に幅の狭い溝が複数存在していました(写真5)。土坑や溝からは12世紀から13世紀の瓦器椀が出土していることから、第2面は鎌倉時代の遺構であることがわかります。

    ido    写真4 井戸(南から)

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                       写真5 溝(細長い白線内、左:南から、右:西から)

 他にも、包含層から縄文時代の石鏃や石匙や、古代の須恵器や黒色土器が出土しています。これらの遺物により、縄文時代や古代における人々の活動がうかがえます。

 今回の発掘調査では、中世以降耕作地として利用されていたことがわかりました。中世における当該地域の開発を明らかにするうえで、貴重な成果といえます。

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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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