陵東(みささぎひがし)遺跡

更新日:2023年1月25日

遺 跡:陵東遺跡(みささぎひがしいせき)

所在地:羽曳野市島泉八丁目

時 代:縄文から中世

調査期間:令和4年4月から11月

主な遺構:井戸、溝、耕作面(水田跡)、

主な遺物:縄文土器、弥生土器、須恵器、土師器、瓦器、埴輪、石器

 

■陵東遺跡の概要

 陵東遺跡は、羽曳野市と藤井寺市にまたがる遺跡です。平成17年度に試掘調査を実施したところ円筒埴輪が出土し、また古墳時代の溝を検出したことから新たな埋蔵文化財包蔵地として周知した遺跡です。

 文化財保護課では都市計画道路八尾富田林線の工事に伴って、令和2年度から発掘調査を行ってきました。今回が4回目の調査となります。

 昨年度の調査では、古墳時代前期と後期の竪穴建物や掘立柱建物、それらに伴う水田や灌漑用水路、東西方向の谷などが確認されています。

 

■今回の発掘調査の成果

 今回の発掘調査では調査区を2箇所に分けて調査しました。北側の調査区は昨年度検出した東西方向の谷の続きと南側の崖面を検出しました。土層の堆積状況や含まれていた土器から、古墳時代前期末まで水が滞留する自然の谷だったところ、これを埋め立てて水田にしていたこと、古墳時代前期末から1990年代まで連綿と水田による稲作をしていたことが明らかになりました。古墳時代後期の水田面では畦畔の痕跡も確認できました。

 また、谷の埋め立ての際には周りの丘陵を削って埋め立て土を得ていたことも分かっており、大規模な地形改変がおこなわれたと推測されます。さらに、谷の自然堆積層や埋め立て土、水田の土に含まれている花粉を調べたところ、地形改変がおこなわれる前はコナラ属コナラ亜属を主体とする落葉広葉樹、ナラ類やシイ類からなる照葉樹で構成される森が広がっていたのに対し、改変後の土にはこれらの花粉がほとんどみられず、イネやシバ属といった草本花粉が主体を占めるようになると明らかとなりました。この植生の変化から当該期に周辺地域の森が切り開かれ、水田と草地が広がるようになったと分かり、景観まで一変するような大規模な開発がおこなわれたと考えられます。

 加えて、谷の自然堆積に含まれていた土器の中で一番新しい土器と、埋め立て土の中に含まれていた一番古い土器はともに4世紀第4四半期ごろであり、大規模な開発の開始時期が古市古墳群の造営が始まった時期とリンクします。古墳群の開発と周辺地域の開発が一連におこなわれていた可能性も想定できるようになったことは重要な成果といえます。

 なお、南側の調査区では近世の耕作に伴う開発の痕跡を確認しました。

 調査地点の位置 

第1図 調査地点の位置

 

古墳時代の水田畦畔痕跡

写真1 古墳時代の水田畦畔の痕跡

灰色の土の上面に比較的明るい色の筋が縦横に走っています。これが水田の畦畔の痕跡です。古墳時代にこのような小さい谷まで水田として利用する事例はあまりなく、考古学的に確認できる谷水田の畦畔としては古い事例となります。

古墳時代の井戸 

写真2  古墳時代の井戸

水田に隣接して井戸が検出されました。井戸を埋める際にたくさんの土器が投棄されています。

 

このページの作成所属
教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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