外島保養院について

更新日:2017年5月25日

外島保養院について

   1907(明治40)年法律第11号「癩予防ニ関スル件」にもとづいて、近畿、北陸の2府10県が協力して、現在の大阪市西淀川区中島2丁目にあたる場所に、公立のハンセン病療養所「第三区連合府県立外島保養院」(以下、「外島保養院」)(定員300人) を、隔離収容施設として1909(明治42)年4月に開設しました。
 外島保養院のあった場所は、現在でこそ治水が完全に行われていますが、当時は海抜ゼロメートル地帯で、療養する環境としては厳しい立地条件でした。そのため、何度か他の場所への移転計画が出されたのですが、その度に移転先の地元住民の反対があり、移転は断念せざるを得なくなりました。
 結局、現地での増床となり、1,000人を収容する大施設への工事がほぼ完成する1934(昭和9)年9月21日、室戸台風の直撃により、防波堤を越えて押し寄せた高波により施設が壊滅し、一瞬にして187人(入所者173人、職員3人、職員家族11人:当時の入所者597人の約3割)と施設拡張工事関係者9人の命がうばわれてしまいました。療養所が復興するめどはたたず、9月下旬より各地の療養所へ患者を委託するという窮余の策が講じられました。その後、府内の候補地が決まらず、1938(昭和13)年、岡山県邑久郡(現在は岡山県瀬戸内市)の長島に、府県立療養所光明園として再興され、1941(昭和16)年7月厚生省へ移管され、国立療養所の邑久光明園となりました。

 現在、外島保養院の跡地付近には、国立療養所邑久光明園入園者自治会により「らい予防法」廃止の記念事業として記念碑が1997(平成9)年に建立され、毎年9月に、関係者により犠牲者追悼行事が行われています。

  大阪府は過去に、国の法律に基づいてハンセン病患者の発見と強制隔離、いわゆる「無癩(らい)県運動」を実施してきました。その結果、患者、回復者、そして家族の方々に多大な苦痛と苦難をおかけすることになり、深く反省するとともに、外島保養院において室戸台風により犠牲となった方々に対し、心から追悼の意を表します。

    記念碑の場所

333

 

大阪市西淀川区中島2丁目10番地先

(大阪湾広域臨海環境整備センター 大阪事務所斜め向かい堤防沿い)

     交通手段

JR東西線 御幣島駅下車後

大阪市営バス 歌島橋バスターミナルより42系統「中島2丁目行き」(約30分乗車)で「中島新橋」下車 西へ徒歩約5分(約300m)

このページの作成所属
健康医療部 保健医療室地域保健課 疾病対策・援護グループ

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