蔀屋北遺跡から出土した馬具

更新日:2009年10月14日

蔀屋北遺跡は四條畷市に所在し、大阪府教育委員会が「なわて水みらいセンター」建設に先立って、平成13年から発掘調査を実施しています。これまでの調査で、古墳時代中・後期の大規模な集落跡が発見され、大量の遺物が出土しました。その中から馬具を取り上げ紹介します。


1 木製の輪鐙(わあぶみ)

木製の輪鐙(わあぶみ)

長さ20.6cm、幅15.7cm、足をかける輪の部分は一部欠けていますが、内径でたて7.3cm、よこ10.6cmを測ります。柄の部分は厚く、輪の部分の断面は梯形(内側が広い)になるようにていねいに細工してあり、柄の先端の穴に皮紐を装着して鞍(くら)につなげて使用します。柄の上縁や紐穴の内側上部は著しく磨り減っており、皮紐がむすばれて使用されていた痕跡が認められます。磨り減り具合からみて、右足用に装着されていたものと考えられます。材質はカシです。


2 鑣轡(ひょうぐつわ)

上東D(ひょうぐつわ)

轡(くつわ)は馬の口に咬ませる銜(はみ)という部分と手綱につなぐ引手(ひって)などで構成されています。出土したのは左半分の銜(はみ)と引手(ひって)で、鉄製です。ねじれた棒状の部分が、銜(はみ)で、馬の口にはめられます。銜(はみ)を固定するためにつける鹿角製の鑣(ひょう)も出土しました。この轡(くつわ)は馬の口の中に装着されている銜(はみ)と引手(ひって)を直接連結するのではなく、遊環を用いて連結しています。これは朝鮮半島の百済(くだら)の轡(くつわ)にみられる特徴です。


3 木製の鞍(くら)

木製の鞍(くら)

後輪(しずわ)という鞍の後ろの部分と考えられています。内外面とも黒漆が塗ってあり、復元幅48cm、高さ27cm、厚さ4.5cmを測ります。鞍は外回りの部分を海、内側の馬の背中側を磯、磯中央下のえぐりこみを州浜形と呼称します。この鞍は外面右側の雉子股(きじまた)という先端部分はしっかり残っていましたが、左側の雉子股(きじまた)と左右の磯の下部は欠けています。磯の部分はふくらむように加工してあり、磯と海の境には凸帯が削りだされています。また州浜形をはさんで約1cm四方の方形の穴が左に2個、右に1個あけられています。材質はトチノキです。


蔀屋北遺跡のある北河内周辺は『日本書紀』などの文献から、「河内の馬飼」が牧を営み、馬の飼育をおこなっていたと推定されていました。馬の全身骨格が出土した土壙や、馬骨、馬歯の出土はこのことを裏付ける資料といえます。また遺跡内で検出した井戸には外洋を航海する準構造船が井戸枠として転用されており、朝鮮半島とのつながりを示す遺物が多数出土しました。こうした調査結果から、蔀屋北遺跡一帯は、古墳時代中期に朝鮮半島から渡来した人々が始めた牧にあたる地域といえます。

ここに紹介した馬具は、「河内の馬飼」の故地と呼ばれる場所で、実際に使用されていたものであり、このような馬具が三種類そろって出土したことは大変重要な発見といえましょう。

画像です。馬具をつけた馬

馬具をつけた馬

(四條畷市南山下遺跡の馬形埴輪をもとに作図)

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教育庁 文化財保護課 調査管理グループ

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