なにわの塔

更新日:2023年12月12日

なにわの塔

なにわの塔      全景 

「なにわの塔」とは

先の大戦終焉(しゅうえん)の地、沖縄において戦没された大阪府関係者を追悼するため、終戦20周年記念事業として、大阪府及び大阪市が大阪府遺族連合会に補助金を支出して、昭和40年4月26日に沖縄の最南端、摩文仁に建立された慰霊塔。昭和44年には、建立5周年にあたって南方諸地域戦没者を新たに合祀しました。

所在地

沖縄県糸満市摩文仁(沖縄県営平和祈念公園内)

敷地面積

2,495平方メートル

塔の規模

高さ2メートル、幅4メートル、塔石は能勢御影石

戦没者数

3万5千余名(沖縄戦没者数2,430名、南方諸地域戦没者数32,600名)

所有者

なにわの塔は、大阪府遺族連合会から令和4年9月に寄付され、現在では大阪府が所有しております。

碑文

碑文

 

太平洋戦争最后の激戦地たるこの沖縄に勇戦力闘して、悲壮の戦死を遂げられた大阪府出身の英霊2,400有余柱。ねがわくは奇蹟的復興を遂げえた郷土の現状を見そなわせ。これひとえに最期まで祈り続けられた諸霊が在天御加護の賜にほかならない。思えば個人の生命は短く、民族の歴史は永い。終戦20年に当り最も犠牲の多かりし摩文仁の丘に「なにわの塔」を建立して、恭しく諸霊の御遺徳を顕彰し、あわせて人類恒久の平和を祈る。御証悟安からんことを。

昭和40年4月26日
大阪沖縄戦没者慰霊塔建立委員会
大阪府知事 左藤義詮
大阪市長 中馬 馨
大阪府遺族会長 栗井岩吉

合祀碑

 合祀碑

祖国防衛の御楯として南方諸地域に散華したまいし英霊35,000有余柱をこの摩文仁の丘なるわが「なにわの塔」に恭々しく斎祀し奉る。アジアではじめての万国博覧会が諸霊の郷土で開かるるにあたり願わくは三世通達の智眼を開いてとこしえに「人類の進歩と調和」を守護したまわんことを

昭和44年10月24日
大阪府知事 左藤義詮
大阪市長 中馬 馨
大阪府遺族会長 栗井岩吉

留意事項

追悼式等を開催される場合、大阪府への使用許可等の手続きは不要ですが、なにわの塔は、誰もが自由に戦没者を慰霊できるものであることから、敷地を占有して使用することは認めておりませんのでご注意ください。

問合せ窓口

大阪府福祉部地域福祉推進室社会援護課恩給援護グループ
住所:〒540−0008
大阪府大阪市中央区大手前3丁目2−12 別館8階
電話番号:06−6944−6662/FAX:06−6941−0227

なにわの塔所在地

〒901-0333 沖縄県糸満市字摩文仁444番地

このページの作成所属
福祉部 地域福祉推進室社会援護課 恩給援護グループ

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