豊臣秀吉ゆかりの地

更新日:2021年7月26日

豊臣秀吉とは

信長のあとを継いで、全国統一を完成した人物である。1583年、水陸交通にめぐまれた石山の本願寺の跡に大坂城を築き始めた。
(参考文献)笹山春生・佐藤信・五味文彦・高埜利彦(ほか12名), 詳説日本史 改訂版, 山川出版社, 2016.ゆかりの地

ゆかりの地

大阪城公園(大阪市)  大阪城御座船(大阪市)  太閤(背割)下水(大阪市)  本宮 鴉宮(大阪市)  久安寺(池田市) 黒井の清水大茶会(茨木市) 常光寺(八尾市) 瓢簞山稲荷神社(東大阪市) 文禄堤(守口市) 理智院(岬町) 船守神社(岬町) 茅渟神社(泉南市) 烏帽子形城跡(河内長野市) 葛井寺(藤井寺市) 大坂夏の陣道明寺合戦記念碑(藤井寺市) 大坂夏の陣樫井川古戦場跡(泉佐野市) 泉井上神社(和泉市) 松尾寺(和泉市) 蔭凉寺(和泉市) 積川神社(岸和田市) 片埜神社本殿(枚方市) 守口大根(守口市) 天野酒(河内長野市) 池田炭(池田市)

大阪城公園

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豊臣秀吉の大阪城築城から400年、現存する石垣や櫓や門などの古建造物は江戸時代のものです。現在の天守閣は、昭和6年に再建されたもので大阪のシンボルとなっています。また、桜や梅林など四季折々の植物が花を咲かせ、訪れる人も多く、今なお大阪府民の憩いの場となっています。

所在地大阪市中央区大阪城
最寄駅Osaka Metro谷町線「天満橋」「谷町四丁目」駅
Osaka Metro中央線「森ノ宮」「谷町四丁目」駅
JR大阪環状線「森ノ宮」「大阪城公園」駅
関連大阪ミュージアム登録物

大阪城公園(外部サイト)

大阪城御座船(おおさかじょうござぶね)

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天守閣を内濠(堀)から見ることができる貴重な機会です。天下人になった気分で「黄金の船 大阪城御座船」を楽しめます。
この『大阪城御座船』は、「豊臣期大坂図屏風」(オーストリアのエッゲンベルク城所蔵)に描かれていた秀吉の「鳳凰丸」を参考に再現。
利休と秀吉の黄金の茶室に見られるように、黄金をこよなく愛した秀吉。
大阪城に夕日が映えると金色に輝いていたことから金城(錦城)とも呼ばれていました。
『大阪城御座船』1隻あたりの金箔の使用量は、約3000枚。船上ではガイドによる大阪城、石垣の説明があります。

所在地

大阪市中央区大阪城(大阪城公園内極楽橋付近)

最寄駅Osaka Metro谷町線「天満橋」駅
Osaka Metro長堀鶴見緑地線「大阪ビジネスパーク」駅
JR大阪環状線「大阪城公園」駅
関連大阪ミュージアム登録物

大阪城御座船(外部サイト)

太閤(背割)下水(たいこう(せわり)げすい)

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豊臣秀吉の大坂城築城に伴い、碁盤の目状に道路が整備され、建物の背中合わせのところに下水溝が掘られました。そして、この下水溝にはさまれた40間四方の区画が町割りの基本となっていました。この下水溝は「背割下水」または「太閤下水」と呼ばれています。
平成17年12月に、大阪市の指定文化財に指定されました。

所在地大阪市中央区農人橋1−3−3(大阪市立南大江小学校西側)
最寄駅Osaka Metro谷町線または中央線「谷町四丁目」駅
関連大阪ミュージアム登録物

太閤(背割)下水(外部サイト)


本宮 鴉宮(ほんぐう からすのみや)

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順徳天皇の御代、鎌倉前期の建保2年(1214年)、傳母町開拓が始まり、建保3年(1215年)、村と港の繁栄を祈願し、傳母村(現在の伝法町)の中心に傳母頭(もりす)神社を創建したのがはじまりです。古くは織田信長と毛利水軍が海戦の拠点として奪い合った海上交通の要所としての役割あり、太閤豊臣秀吉から古来の守り神である八咫烏にちなんで、鴉宮と名称変更し、いまに至っているとのことであり、歴史に彩られた神社で、国の登録有形文化財に登録されています。
 また、本宮鴉宮の拝殿の表側には、神の使い八咫烏、裏側には大阪府の府章である千成瓢箪など全国的に珍しい貴重な彫刻がされおり、千成瓢箪の発祥の地と伝わっておいます。
 夏の祭は多くの人がごった返し、勇壮で、町挙げてのお祭りとなっています。(ゑびす祭:1月9日から1月11日、夏祭:7月31日から8月1日、秋祭:11月3日)

所在地大阪市此花区伝法2−10−18
最寄駅阪神なんば線「伝法」駅/「千鳥」駅
関連大阪ミュージアム登録物

本宮 鴉宮(外部サイト)

久安寺(きゅうあんじ)

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行基が開創したと伝わる古刹。安土桃山時代には、豊臣秀吉も参拝して月見茶会を開いたというエピソードもあります。今では「花の寺」として、北摂の名所としても定着し、春には新緑を秋には紅葉を見物にと多くの人々が訪れます。また、楼門と阿弥陀如来は国指定の重要文化財です。

所在地池田市伏尾町697
最寄駅阪急宝塚線「池田」駅
関連大阪ミュージアム登録物

久安寺(外部サイト)

黒井の清水大茶会

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かつて、豊臣秀吉が茨木城に入った際に、今の茨木神社境内にある井戸の清水で茶を立てさせたという故事があります。その後も秀吉公は、この清水を大阪城に汲み運ばせたということです。これが「黒井の清水」といわれています。
 平成12年度よりその「名水」にスポットをあて、広く市民にも呼びかけ、茨木の文化・産業の見直し・再発掘を行なうことで新たな産品の開発と中心市街地商店街の活性化を図ることを目的に、「黒井の清水大茶会」を開催しており、毎年多くの人々でにぎわっています。

所在地茨木市元町4番3号
最寄駅阪急京都線「茨木市」駅
関連大阪ミュージアム登録物

黒井の清水大茶会(外部サイト)

常光寺

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常光寺は、八尾地蔵で名高い寺で、初め新治西郷新堂寺として行基が創建、聖武天皇の勅願所となり、白河法皇や将軍足利義満(初日山 常光寺の扁額を揮毫)が参詣されたり、豊臣秀吉から病気平癒の祈祷料として毎年寄進を受けるなど、多くの信仰を集めました。また、1615年の大坂夏の陣には、金地院崇伝の抱え寺として保護され、藤堂高虎が方丈の縁側で敵の首実検をしたとの記録も残っています(現在、その縁板は血天井として残されています)。その後も徳川家光以降の歴代将軍から朱印状を受けており、足利義満内書をはじめ古文書が数多く残っています。
 例年4月24日の大般若会(だいはんにゃえ)、8月23・24日の地蔵盆会はともに地元で大切にされている行事です。なかでも、「流し節正調河内音頭」による盆踊りは河内の名物となっており、河内音頭発祥の地として河内はもちろん全国からファンが集まります。

所在地八尾市本町5-8-1
最寄駅近鉄大阪線「近鉄八尾」駅
関連大阪ミュージアム登録物

常光寺(外部サイト)

瓢簞山稲荷神社(ひょうたんやまいなりじんじゃ)

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瓢簞山稲荷神社は豊臣秀吉が大坂城築城にあたり、瓢形の小山に金瓢を埋め、伏見桃山城から、ふくべ稲荷を勧請したことに由来します。古くから「淡路島かよう千鳥の河内ひょうたん山恋の辻占」と名調子で売り歩いた辻占の総本山で、日本三大稲荷の一つです。この辻占は、一の鳥居前にある占場に立って往来する人の服装・態度・持ち物などを見て判じたといわれ、明治期にはたいへんな賑わいでした。

所在地東大阪市瓢箪山町8-1
最寄駅近鉄奈良線「瓢箪山」駅
関連大阪ミュージアム登録物

瓢簞山稲荷神社と辻占(外部サイト)

文禄堤(ぶんろくつつみ)

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この堤は、文禄3年(1594年)に伏見城を築いた豊臣秀吉が、京都・大坂を結ぶ最短陸路として、毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の三家に命じ、文禄5年(1596年)に整備させたものです。これが街道で後に東海道と呼ばれるようになりました。この堤の長さは約27kmと言われていますが、度重なる淀川の改修等で堤の多くは姿を消しており、ここ守口にのみ面影をしのぶことができる貴重な文化財です。また、地域・コミュニティでの決め事である御法度や掟などを墨書きした木版「高札場」のレプリカが設けられています。高札場は、当時の雰囲気をそのままに再現されており、市民や来訪者がかつての京街道・東海道の往来が華やかなりし頃の文禄堤や守口宿の姿に思いを馳せ、守口の歴史、文化とその魅力を発見するための記念物として、末永く受け継いでいます。この高札場を中心に文禄堤を守口市の観光資源として広く発信しています。

所在地守口市本町付近
最寄駅京阪電車「守口市」駅
関連大阪ミュージアム登録物

文禄堤(外部サイト)


理智院

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聖武天皇の勅願で行基が開創したと伝えられています。本尊の追風不動明王は、弘法大師の作といわれ秘仏となっています。このほかに、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、この追風不動明王の功徳によって航海の無事を得たとして自らの「ひげ」を抜いて木像のあごに植えて寄進した「秀吉肉付の像」や秀頼8歳のときの「豊国大明神」の書など数多くの宝物が所蔵されています。

所在地泉南郡岬町多奈川谷川1523
最寄駅南海多奈川線「多奈川」駅
関連大阪ミュージアム登録物

理智院(外部サイト)

船守神社

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豊臣秀頼の命により造営された本殿は、三間社流造の桃山様式で国の重要文化財に指定されています。

所在地泉南郡岬町淡輪4442
最寄駅南海本線「淡輪」駅
関連大阪ミュージアム登録物

船守神社(外部サイト)

茅渟神社(ちぬじんじゃ)

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熊野詣が盛んになる平安時代、庶民が八王子権現を勧請したのが起源とされています。豊臣秀吉の根来攻めで一度焼失しましたが、いまの社はその後再建されたものです。約400年前の社殿は、桃山建築の様式を今に伝えています。
また現在では、社名にちなみチヌ釣りの愛好家がお参りにくることもしばしばです。

所在地泉南市樽井5-11-9
最寄駅南海本線「樽井」駅
関連大阪ミュージアム登録物

茅渟神社(外部サイト)

烏帽子形城跡(えぼしがたじょうあと)

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烏帽子形城は、古い歴史を持ち、平家物語に登場する「長野城」もこの城の事を指しているのではないかとする説もあります。その後、応仁の乱や、豊臣秀吉による根来寺攻略の舞台となり、キリシタン大名が治める城として、イエズス会によりヨーロッパにも紹介されました。
 現在、城跡には土塁や空堀など迫力ある構造物が残っており、ありし日の山城の様子を現在に伝えています。市街地にあり、容易に散策できます。

所在地河内長野市喜多町724他
最寄駅南海高野線「河内長野」駅
関連大阪ミュージアム登録物

烏帽子形城跡(外部サイトを別ウインドウで開きます)

葛井寺

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市の名前にもなっている「葛井寺」は、葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳時代に建立され、平安時代後半には観音霊場として知られるようになり、地元では「観音さん」の愛称で大変親しまれ、西国三十三所観音霊場第五番札所としてにぎわっておりました。そして、令和元年5月20日「1300年つづく日本の終活の旅から西国三十三所観音巡礼」が日本遺産に認定され、さらににぎわいを見せております。国宝に指定されている本尊は、実際に千本以上の手を持つ大変珍しい、我が国最古の千手観世音坐像で、毎月18日には厨子の扉が開かれ、拝観することができます。重要文化財の「四脚門」は安土桃山時代末期に、南大門として豊臣秀頼によって建てられ、その後、江戸時代中ごろに今の西門として移築されました。藤の名所としても知られています。【藤井寺八景】

所在地藤井寺市藤井寺1丁目16番21号
最寄駅近鉄南大阪線「藤井寺」駅
関連大阪ミュージアム登録物

葛井寺(外部サイト)


大坂夏の陣道明寺合戦記念碑

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「大坂夏の陣道明寺合戦記念碑」は、大坂夏の陣において真田幸村、伊達政宗など豊臣軍・徳川軍双方の精鋭部隊が激突し、歴史が大きく動いた「道明寺合戦」を広く周知するため、合戦の舞台となった藤井寺市道明寺の地に建立された石碑です。
合戦から400年となる平成27年(2015年)を前に、地元有志の道明寺まちづくり協議会により建立されました。

所在地藤井寺市道明寺3丁目
最寄駅近鉄南大阪線・道明寺線「道明寺」駅
関連大阪ミュージアム登録物

大坂夏の陣道明寺合戦記念碑(外部サイト)

大坂夏の陣樫井川古戦場跡

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樫井川の下流域にある大坂夏の陣の古戦場跡。徳川家と豊臣家において壮絶な戦いを繰り広げられ、徳川家の勝利となり、この勝利が後の徳川軍の大勝利に大きく貢献したと云われています。

所在地泉佐野市南中樫井1009
最寄駅
関連大阪ミュージアム登録物

大坂夏の陣樫井川古戦場跡(外部サイト)

泉井上神社(いずみいのうえじんじゃ)

izumi

天平宝字元年(757)に成立した和泉国(いずみのくに)の国府(政庁)が置かれた府中に所在する。平安時代に制定された律令(法律)の施行細則である『延喜式』(えんぎしき)には、「泉井上神社」として記載される。御祭神は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇。境内には、和泉国の国名の由来とされる和泉清水(いずみしみず)や、室町時代に作成された板碑がある(ともに大阪府の指定文化財)。

 境内の五社総社(ごしゃそうじゃ)は、和泉国一宮の大鳥大社、二宮の泉穴師神社、三宮の聖神社、四宮の積川神社、五宮の日根神社の御祭神をあわせて祀った神社。現在の社殿は、慶長10年(1605)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したもので、国の重要文化財に指定されている。

所在地和泉市府中町六丁目2番38号
最寄駅JR阪和線「和泉府中」駅
関連大阪ミュージアム登録物

泉井上神社(外部サイト)


松尾寺

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修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ、7世紀の人)が開創したと伝える名刹。10世紀末ごろに成立した『日本往生極楽記』(にほんおうじょうごくらくき)という記録には「松尾の山寺」として記載がみえる。現在の御本尊である如意輪観音坐像は江戸時代に作られたもの。毎年4月の第1日曜日には御影供(桜まつり)が行われる。

 中世に多数の付属寺院や神社を抱えた松尾寺は、天正9年(1581)に織田信長による攻撃で破壊された。荒廃した松尾寺は、慶長7年(1602)に豊臣秀頼によって再建されたと伝えられる。現在の金堂(大阪府の指定文化財)は、その建築様式から、慶長7年から明暦2年(1656)に再建されたものと推定されている(詳細は和泉市編さん委員会編『和泉市の歴史2 松尾谷の歴史と松尾寺』2008年)。

所在地和泉市松尾寺町2168番地
最寄駅泉北高速鉄道「和泉中央」駅
関連大阪ミュージアム登録物

松尾寺(外部サイトを別ウインドウで開きます)

蔭凉寺(いんりょうじ)

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寛文元年(1661年)開基の曹洞宗の禅寺です。本堂廊下の天井板には、伏見桃山城の廊下板が使われており、大坂夏の陣に敗れ自刃した豊臣方の将兵たちの血痕が残っています(いわゆる「血天井」)。

所在地和泉市尾井町337番地
最寄駅JR阪和線「北信太」駅
関連大阪ミュージアム登録物

蔭凉寺(外部サイト)

積川神社(つがわじんじゃ)

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豊臣秀頼が再建したという本殿は国指定重要文化財。木造男女神像8体(鎌倉期)と、白河院宸筆と伝えられる木造篇額は府指定有形文化財。この他、淀殿寄進と伝える神輿も保管されています。 

所在地岸和田市積川町350番地
最寄駅南海本線「岸和田」駅
関連大阪ミュージアム登録物

積川神社(外部サイト)

片埜神社本殿(かたのじんじゃほんでん)

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片埜神社本殿は、残されている棟札によると、慶長7年(1602)豊臣秀頼が片桐且元を総奉行に再建したもので、三間社流造、檜皮葺で、細部にいたるまで桃山時代の華麗な様式をよく示しており、昭和25年に重要文化財に指定されています。特に四面を飾る蟇股(かえるまた)の彫刻に当時の特色を見ることができ、「竹に虎」、「芙蓉にせきれい」、「椿にひよどり」など、絵画的で精巧な彫刻がそろっていて見応えがあります。
平成21年から23年に、檜皮葺屋根の葺替、彩色の塗替が行われ、朱漆塗に極彩色の壮麗な社殿がよみがえりました。

所在地枚方市牧野阪2丁目21番15号
最寄駅京阪本線牧野駅
関連大阪ミュージアム登録物

片埜神社本殿(外部サイト)

グルメ・特産品情報

守口大根

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守口大根は地元守口の伝統野菜で、大阪城が築かれる以前は、栽培地が点在していました。築城以降、城下町の発展による市街化の影響で、江戸時代後半から栽培が衰退しました。しかし、近年伝統食材が注目されるなか平成17年から守口市内での復活を目指し、市内農家で栽培が始まり、平成19年度には大阪府「なにわの伝統野菜」の認証品目として登録されました。太さ約3cm長さ1mを超える細長いゴボウのような大根で、一般の大根より繊維質がきついため、過去から漬物として守口の地で自家消費されており、この自家製漬物を食した豊臣秀吉が後に守口漬と呼んだことから、広く守口大根と呼ばれるようになったといわれています。

所在地守口市内農地
最寄駅
関連大阪ミュージアム登録物

守口大根(外部サイト)

天野酒

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享保3年から約300年間、河内長野市で日本酒を造り続けている酒蔵で、昭和46年天野山金剛寺と地元の人々の応援で、かつて金剛寺でつくられていた地酒である「天野酒」を復活。平成6年には室町時代の文献をもとに、酒造りの手法全てを古式にのっとった「僧坊酒」も復刻されました。その飲み口は、まったりと柔らかで、上品な味わいで、知る人ぞ知る地酒の一つになっていて、全国新酒鑑評会で金賞も獲得されています。
また、「織田信長」「徳川家康」などの戦国武将たちにもたしなまれ、とりわけ、時の関白太政大臣「豊臣秀吉」は天野酒を愛飲し、たびたび使者を遣わしては買い求め、良酒醸造に専念することを命じた朱印状を天野山金剛寺に渡し、その朱印状は現在も金剛寺宝物館に展示保存されています。「天野比類無シ」「美酒言語ニ絶ス」などと絶賛された天野酒は、当時の名だたる英傑たちがこぞって愛飲した銘酒であったことが多くの文献に残されています。

所在地河内長野市長野町12−18(天野酒)
最寄駅南海高野線及び近鉄長野線「河内長野」駅
関連大阪ミュージアム登録物

天野酒(外部サイトを別ウインドウで開きます)

 

池田炭

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久安寺(きゅうあんじ)が1145年から1870年に宮中御茶用として献上し、1595年には豊臣秀吉が同寺で観月の茶会を催したと伝えられています。切り口が「菊の花」のように均一に割れ目があることから「菊炭」とも呼ばれ、その集散地であったことから池田炭と名づけられました。最近は炭ブームもあって、お茶用としてはもちろん、インテリアグッズとしても使用されています。

所在地

最寄駅
関連大阪ミュージアム登録物

 池田炭(外部サイト)

このページの作成所属
府民文化部 都市魅力創造局魅力づくり推進課 魅力推進・ミュージアムグループ

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