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更新日:2024年5月28日

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連載コラム「大阪のだし」 第14回 (平成25年3月21日)

「“たこ焼”を世界の“TAKO-YAKI”へ」 お話しいただいた方:永尾 俊一 さん

「道頓堀に、たこ焼の店「くくる」を出したのは、昭和60年、私が大学4年のときです。当時は、道頓堀には、屋台のたこ焼屋さんが2軒あるだけでした。

そう語るのは、「たこ家 道頓堀 くくる」や「おいもさんのお店 らぽっぽ」など、計120店舗以上を国内外に展開する、白ハト食品工業株式会社代表取締役の永尾さんだ。

現在、道頓堀の狭いエリアには、「道頓堀たこ焼連合会」、通称「道たこ連」に加盟するお店だけで6軒、その他もあわせると10数店舗以上のたこ焼屋が建ち並んでおり、毎日、世界中からやってくる大勢の観光客であふれている。実際、週末ともなると、「くくる」道頓堀本店を訪れるお客さんの半分近くは、外国人観光客なのだという。

今や、大阪の食の代表となった感のあるたこ焼だが、永尾さんが道頓堀に店を出した当時は、たこ焼は屋台ものというイメージが強かったという。

「たこ焼を、もっとカッコいいものにしたかった。そして、マクドナルドがハンバーガーを世界に広めたように、大阪のたこ焼を世界に広めたいと思って、まずは、ミナミの中心、道頓堀に店を出したんです。」

そもそも、たこ焼は、明治の終わりから大正の初め頃、子どもたちのおやつとして大人気だったラヂオ焼が元になっているのだそうだ。

「ラヂオ焼というのは、水で溶いた粉に、コンニャクやすじ肉、グリンピースなどを入れて、デコボコした鉄板で焼いたものです。ラジオが流れる屋台で売られていたから、ラヂオ焼と呼ばれたらしいですよ。」

昭和の初め頃になると、コンニャクなどの代わりに、大阪湾で獲れるタコが入れられ、生地にも昆布やかつお節のだしが入って、味がグンと良くなり、「たこ焼」として、子どもだけでなく大人の間でも人気となる。戦後になると、ソースがかけられるようになり、ますます大阪人に愛されるようになる。

「たこ焼は、大阪のだし文化とソース文化、大阪湾のタコから生まれた、大阪庶民のソウルフードなんですよ。」

永尾さんは、この大阪生まれのたこ焼を、「美味い」「おもろい」「新しい」という3つのコンセプトで世界に広げていこうとしている。

「たこ焼の美味さは、生地、ソース、そして、たこの大きさのバランスが大事なんです。うちのたこ焼は、ふわトロ系。生地には、昆布とかつお節のだしのほか、山芋を入れています。タコから出るエキスには、体にいいタウリンや、ベタインなどの旨み成分が含まれていますしね。」

「今は、タコは、たこ焼に最適なモーリタニアやモロッコ産などの西アフリカ産のものを使っています。大阪湾のタコだと、たこ焼としてたくさん食べると、歯ごたえがありすぎるんですよ。」

ちなみに日本人は、世界で消費されるタコの約3分の1を消費しているのだそう。寿司が世界的に広まるなか、これまでタコを食べる習慣のなかった中国やアメリカ・北ヨーロッパなどでも徐々に食べられるようになり、タコの値段は、年々高騰しているそうだ。

「うちのソースは、ふわトロの生地にあうように、リンゴ、バナナ、トマト、キャベツなどが入ったちょっと甘口ベースの味にこだわってます。」

さて、たこ焼の「美味い」を目指すのは当然のこととして、永尾さんは、「おもろい」ことも重視している。芝居・浄瑠璃のまち「道頓堀」を意識して、たこ焼の持つライブエンターテイメント性を大事にしているのだという。

「国内の店でも上海の店でも、全ての店には、目立つところに実演コーナーを設けています。目の前でたこ焼が焼けていくという楽しさだけでなく、お客さんと交わす笑顔、会話、呼び込み、そういった全てを楽しんでもらいたいんです。」

「くくる」は、上海万博にも出展して大人気を博したが、アメリカやヨーロッパのイベントにも度々出展をしている。どこのイベントでも、1時間待ちといった大行列ができるほどの人気だという。

「海外のお客さんたちは、たこ焼を食べて、美味しいと言ってくれるだけでなく、たこ焼を焼くパフォーマンスを見て、クール(かっこいい)だと言ってくれるんです。」

だしの効いた生地が、デコボコした鉄板に注がれ、一旦、平らになる。そこに、大つぶのタコと生姜の赤、ねぎの青、天カスの黄色、色とりどりの具が振り掛けられ、鮮やかな手さばきで職人の手が動けば動くほど、真丸い形が生み出される。仕上げに振りかける白ワインがジュッっと音を立てると、みんな拍手喝采して喜んでくれるという。

「みんなが、形状の変化、彩りの美しさ、そして日本人の手の器用さに見とれる。大阪人にとっては、たこ焼を焼くところなんて珍しくもないんですが、海外に出て、たこ焼のライブパフォーマンスとしての魅力を、反対に教えてもらいました。」

「大阪は、カウンター割烹発祥の地でもありますからね。『美味しいものを提供するだけでなく、作っているところも、見てもらう。会話も楽しむ。お客さんだけでなく作る人も一緒になってわくわくする』、そういう大阪の食文化を世界の人に知ってほしいんです。」

「お客さんとの会話は、とても大事ですね。会話も呼び込みもたこ焼の味のうちちゃうんかな。例えば、お客さんに『店長が変わったら、たこ焼の味が変わった。』と言われることがあるんですけど、レシピは同じなので、味が変わることはありえない。焼き加減が多少変わるというのはあるかもしれませんけど。それより、おもろい店長なのか、一生懸命やけどまじめな店長なのかとかで、会話が違うことのほうが大きいんちゃうかという気がします。店長の人間味が違うと、たこ焼の味が変わる。こういうの、人間のだしって言ってもいいかもしれませんね。」

と笑う永尾さんは、ちゃんと話しのオチを「だし」につなげてくださる。サービス精神のあふれる方である。

もうひとつ、「他人(ひと)と同じやん」って言われると悔しい、という永尾さんは、「新しい」ことにもこだわっている。海外では、日本らしさが出る食材や、現地の食材を使って、いろいろ新しい味づくりにもチャレンジしている。ニューヨークでは、餅とチーズ入りのたこ焼「ニューヨークもっちーず」を売り出して、大ヒットになったという。

「今、世界に進出している日本の食べ物といえば、一番は寿司、二番はラーメンですよね。私は、たこ焼を三番目にしたいんです。会席料理とか、いわゆる日本料理も、三番目の座を狙ってますけど、、、。」

世界遺産登録を目指す「日本料理」に負けじと燃える永尾さん。大阪のコンセプトそのものとも言える「美味い」「おもろい」「新しい」を武器に、「魅せる」たこ焼をひっさげ、一歩一歩世界の「TAKO-YAKI」に近づいている。

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永尾 俊一さんのプロフィール

永尾俊一さん

永尾 俊一(ながお としかず)

1963年、大阪生まれ

「白ハト食品工業株式会社」代表取締役社長、会社経営デザイナー

上方お好み焼たこ焼協同組合の理事、道頓堀たこ焼連合会創設発起メンバー、道頓堀商店会副会長

白ハト食品工業株式会社では、江戸時代の川柳にあやかって「いも・たこ・なんきん」を使った商品を作って販売するだけでなく、「芝居・浄瑠璃の魅せる」というエッセンスを加え、お客様と感動を共有することを目指している。

<主な事業内容>

大タコの看板
道頓堀川沿いには、名物大たこ看板が。

くくるのたこ焼
ぷりっぷりの大たこが入った、ふわっとろっ食感のたこ焼。

たこ焼きミュージアム
道頓堀コナモンミュージアム。こちらにも目印の大たこ看板。

たこ焼ミュージアムでの作業風景
道頓堀コナモンミュージアムの3階の食品ロウサンプル体験では、タコヤキサンプルを作れます。

びっくりたこ焼
道頓堀本店限定、たこがはみ出す「びっくりたこ焼」。

文=日下部貴美子、写真=「たこ家道頓堀くくる」提供

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