「だしを取るには30年かかる」。料理人の世界では、昔からよく言われてきた言葉だそうである。文楽の世界でも、主遣いになるまでには、「足十年、左十年」という言葉があるし、板前の世界でも、「焼き方何年、煮方何年」などという風にして序列があがっていくと聞いたことがある。が、だしで 30年とは、ちょっと大げさな気がしないでもない。
「季節、料理の素材、水、調理方法によって、そして、商売ですから、儲けも考えた上で、それぞれの料理にぴったりと合うだしをとるのは、それくらい難しいということでしょうねぇ。また、だしは、それくらい料理にとって大事な基本や、いうことでしょう。ただ、昔は、料理は教えてもらうものではなく、見よう見まねで盗むしかなかったから、そのくらい時間がかかった、ということであって、今はちゃんと教えてもらいますから、そんなにはかかりませんわ。」
「大阪のだしは、昆布と鰹の合わせだしが基本やけど、昆布と一口に言っても、真昆布、利尻昆布、日高昆布など、いろんな品種がある。品種だけでなく、獲れる浜によっても品質が違う。真昆布は函館あたりのごく限られたエリアでしか獲れませんが、利尻昆布は、北海道の北側の比較的広いエリアで収穫され、どこの浜で獲れたものかによって、値段が大きく違うんです。昆布の厚み、巾、長さなどによって等級がつけられ、また、獲れてからどう寝かす(熟成させた)かでも味が違ってくるんです。」
「大阪は真昆布、京都は利尻昆布を使う、とかよく言われてますが、どっちも上等なものは値が高いから、店によっては、そんな昆布はなかなか使えません。予算にあわせて、たくさんある昆布の中からどの昆布を使うのか、どのくらいの量使うか、どうやってだしを引くのかと、工夫していかんとあかんのです。」
最上級の昆布でお椀一杯のお吸い物を作ろうと思うと、材料の昆布代だけで、
「花かつおにする鰹節にも、カビつけをした本枯れ節、カビつけをしていない荒節があります。本枯れ節のほうが香りが強いので、お吸い物に向いています。 荒節は煮込んでも渋みが出にくいので煮物向きなど、また、血合い(赤い部分)有りか抜きかでも違い、削る厚さを変えるだけでも引く方法が変わるし、味が違ってきます。」
「お椀(お吸い物)なら昆布と鰹節のだしだけで上品な美味しいもんが作れますが、料理によっては、昆布にうるめ節、さば節、そうだ節などの雑節や、干ししいたけなどのだしなどをあわせないと、コクが足りません」。
うどんのだしも、昆布に数種類の雑節をあわせてだしをとり、濃厚で力のある旨みを出すそうだ。
「美味しいうどんのだしを作るには、調味料を合わせてからも、極弱火で湯気だけが立ち上るような状態にして、しばらく『寝かす』ことも必要です。そうすると、角のとれた『ぼわーん』とした深い旨みのあるだしになります。そやから汁まで全部飲み干せる。店によっては、2時間も3時間も寝かすところもあります。だしの取り方には、これが正解というのはありません。うどん屋が100軒あれば、
さすが、30年かかるというだしの世界は奥が深い。うどんのだしはプロに任せることにして、家庭で簡単にできる美味しいだしの取り方を教えていただいた。
「昆布の種類や料理によって、だしの取り方は変わります。お吸い物を作るのであれば、水出しが一番いい方法です。加熱しないので、昆布の旨みだけがじわーっと出て、色も雑味も出ません。まず、昆布の表面を硬く搾ったぬれ布巾で拭きます。2ℓの水に昆布40Gを入れ、冷蔵庫に約10時間置きます。 昆布のうま味の多くは表面から出るので、切込みを入れる必要はありません。多くの切込みをいれると、かえって、ぬめりや雑味が出やすくなります。10時間たったら、昆布を取り出し、火にかける。沸騰する直前に鰹節60gをほぐすように一気に入れ、軽く一煮立ちしたらすぐ火を止め、あくを丁寧に取り静かに、キッチンペーパー等で濾します。」
鰹節は、できれば、血合い抜き(赤い部分がないもの)を使うと、くせが無く味が繊細になるそうだ。
そもそも、大阪で盛んに昆布を使うようになったのは、江戸時代も中頃。今から約300年ほど前のことだ。日本海から瀬戸内海を廻る西廻り航路で、北前船が、北海道の昆布を始め、全国の物産をどんどん運んでくるようになった。活気あふれる大阪の市場には、薩摩、土佐や紀州からも鰹節が入ってきて、合わせだしが生まれる。現在の兵庫県龍野でうす口醤油が作られはじめたのも、1600年代の中頃からである。
「今、料亭や旅館でよく出される宴会形式の日本料理、いわゆる会席料理が華やかに登場したのは、江戸時代後半の文化・文政の頃で、結構最近なんですよ。」
特に、公家が住む京都、武士や職人が多い江戸に比べ、商人が多い大阪では、接待や商談に利用されることによって、料亭や仕出し屋が繁盛し、外食文化を発展させていった。
畑さんが相談役を務める「大阪料理会」では、大阪の割烹店や料亭の店主たちが集まって、月1回、大阪的な料理の研鑽を積んでいる。大阪料理とは、どんな特徴を持つ料理か尋ねてみた。
「大阪料理の真髄は、新鮮な魚介類や野菜類を、持ち味を活かして、とことん美味しく食べようというこだわりにあるように思います。船場では、一番美味しい魚島季節(うおじまどき)の桜鯛(※)を贈答する習慣が長くあったし、刺身も贅沢に大きめに切るのが、大阪料理。ハモも、梅雨明けのハモちりを酢味噌で食べるだけやなく、蒲鉾、ハモ皮の酢のもん、秋ハモを玉葱と鍋にしてガッツリ食べる美味しさも知っている」。
「江戸時代には、運送手段や食品保存方法が発達していなかったから、例えば京都では、塩鯖や棒ダラを上手に戻して使ったり、魚は昆布締めにしたりの工夫を凝らした。江戸では、外洋系の赤身魚のマグロ、カツオなどを好んで食べてきました。」
「それに比べ、内海に面した大阪では、鯛やハモなどの白身魚がたくさん獲れるため、それを贅沢に、薄味で味わうことができたのです」。
もうひとつ、大阪料理の特徴は、美味しいものは「しまつ」してとことん味わい尽くすということである。
「鯛も、造りや焼きもんにするだけでなく、アラはごんぼと炊きましょか、骨は潮汁にしましょうか、と丸ごと味わう。大阪では、うなぎの半助(蒲焼にした頭の部分)も、焼き豆腐とあわせて鍋にしてきました」。
公家や武士がとらわれがちな形式や見栄にとらわれず、本当に旨いもんをとことん味わいつくす大阪の商人の合理精神が、大阪の食文化を育ててきたのであろう。
商家の旦那衆に支えられ、地の利を生かした新鮮な海山里の食材を料理(割烹)するスタイルを築き上げた大阪は、明治の終わり頃になると、『腰掛け』と呼ばれる独自のスタイルのお店を生んだ。
「『腰掛け』とは、その名のとおりふらりと入ってきた客が椅子状の台に腰掛け、『今日はどないな魚があんねんな?ほーう、ええな。ほな、それ、焼いてんか。』といった具合の会話を板前と交わして、作りたての美味しい料理を食べさせたお店です」。
このスタイルが、大阪発祥のカウンター割烹につながっているのだろう。そして今や、カウンターを挟み、料理人が客の目の前で調理してくれるカウンタースタイルは、イタリアレストランでもフランスレストランにも取り入れられている。
磨き抜かれてきた大阪料理と大阪のだしが、これからもどのように進化・発展していくのか、本当に楽しみである。
| 畑 耕一郎 さんのプロフィール 畑 耕一郎 (はた こういちろう) <表彰・賞>
※ 魚島季節の桜鯛:瀬戸内海では、4月初旬から6月初旬にかけて、鯛が産卵のために群れをなして集まる。この時期を「魚島季節」と呼び、この時期の鯛を桜鯛と呼ぶ。産卵期の鯛は赤みが増し、身が肥えて脂がのって美味しく、船場では親せき同士や親しい家の間で上等の桜鯛を贈答する風習が、江戸時代から大正頃まで続いた。
文=日下部貴美子 写真=山田泰常 | |
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府民文化部 都市魅力創造局魅力づくり推進課 魅力推進・ミュージアムグループ
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