[防災事業] 正蓮寺川ってどんなところ?

更新日:2009年8月5日

正蓮寺川のあらまし

 正蓮寺川は、淀川最下流部の支流で、淀川から高見機場を通じて分派し、すぐに六軒家川を分けて西に流れ、此花区常吉2丁目と北港2丁目の境で、大阪湾北港に注ぐ延長4.6kmの一級河川です。

正蓮寺川の位置図。淀川の南に平行して流れています

 正蓮寺川のあるところはどんなところ?

 正蓮寺川の位置する此花区の名称は、「難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花」という万葉の古歌に由来し、梅の花の古語である「木の花」から付けられたといわれています。
この地域は、豊臣から徳川時代の新田開発により開けてきたところで、その中で旧中津川の河口近くに位置する伝法村は、西国方面から大阪に至る船の乗継港として栄え、朝鮮の役では豊臣秀吉がこの地から軍船に乗船したと伝えられています。
その後、明治になって工業が発展すると、農業地帯から工業地帯へと変わっていき、第二次世界大戦には、金属・電工・ガス・電力などの企業が集中し、工業地帯として発展してきました。このように正蓮寺川流域一帯は、歴史とともに大きく変貌してきた地域です。

 何故、正蓮寺川って言うの?

 正蓮寺川の名前の由来は、恩貴島橋上流の右岸側に寛永2年(1625年)に開山された「正蓮寺」にちなんで付けられたそうです。
また、この「正蓮寺」は正蓮日宝が小庵を建立したのがはじまりといわれ、古くは七堂伽藍が備わり、大阪25か寺に数えられていましたが、火災や地震のため滅失し、現本堂は明治7年のものです。
毎年正蓮寺川で行われていた川施餓鬼は、享保6年(1721年)から始まっており、天神祭の船渡御に匹敵するほどの賑わいを見せていたそうですが、昭和42年からは8月26日に淀川の伝法大橋下流の左岸で行われています。

 正蓮寺川のすがたは?

 現在の正蓮寺川は、高見機場を始点とし、分水路を通じて大阪湾に注ぐ河川であり、良質な水質を維持するために、高見機場から維持用水が流されています。正蓮寺川は、全川に渡り感潮区間で、潮の干満によって水位が変動します。沿川には宅地や商工業地が密集しており、堤内地は地盤沈下に伴い堤防に比べて低くなってます。両岸には人の背丈を超えるの防潮堤が設置されてます。
また、平成に入ってから始まった『正蓮寺川総合整備事業』が、現在も引き続き行われており、河川の半分が陸地化されています。

 正蓮寺川全景(下流から上流を望む。左は淀川)
正蓮寺川下流から上流の様子。

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都市整備部 西大阪治水事務所 企画防災グループ

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