所在地 : 和泉市寺田町
種類 : 集落跡
時代 : 弥生時代から中世
調査期間 : 平成22年8月から平成23年2月
主な遺構 : 掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)、河川跡、溝跡
主な遺物 : 土師器、須恵器、瓦質土器(がしつどき)
寺田遺跡(3)に引き続いて実施した、第2調査区南半部および下層河川の調査成果についてご紹介します。
前回ご紹介したとおり、第2調査区の北半は寺田遺跡の集落中心部にあたっていました。この調査区を南へ拡張したところ、写真1の中ほどを横切る溝のあたりを境にして奥側(フェンス側)の遺構は少なくなっていることが判明しました。
【写真1 2区南半全景 北から望む】
上空からの写真(写真2)をみると緑のラインから北側(2区北半が中心)には多くの遺構が並んでいますが、ラインの南側には建物の痕跡などは見つかりませんでした。出土した遺物の量もラインを境にして南側は少ないという特徴があります。
【写真2 2区航空写真】
以上のことから、この緑のライン辺りが集落の端にあたるものと考えられます。古墳時代中期の集落の輪郭の一部が明らかになったことは今回の主要な調査成果の一つです。
それでは、この集落の輪郭は何によって決まったものでしょうか?この点を考える手がかりが2区の下層の調査によって得られました。
古墳時代中期の暮らしは、河川の洪水によってたまった土砂の上を生活面として営まれました。中期遺構面の調査終了後、この下層を掘削したところ、大規模な流路が検出されました(写真3)。
【写真3 下層流路検出状況】
この流路は、ほぼ先ほどの緑のラインに沿って流れており、中には小さな礫がいっぱいに詰まっていました。流路の内部からは弥生時代後期(紀元後1世紀から2世紀)の土器がたくさん出土しました。
流路の断面を見ると真ん中の部分が高まっています(写真4)。このため、微地形として下層流路が流れた部分が周囲より一段高くなることとなりました。
【写真4 下層流路断面】
以上の調査成果から、弥生時代後期に流れていた大きな河川を埋める礫によって微高地が形成され、その範囲に古墳時代中期の集落が営まれたということが明らかとなりました。
寺田遺跡の集落の輪郭は微地形によって定まっていたということを確認し、平成23年2月末をもって現地調査は終了しました。今後は、古墳時代中期の集落の実態に迫るべく、出土遺物や図面・写真等の整理を行い、報告書を作成します。整理作業の成果についても、引き続きご紹介していきたいと思いますので、ご期待ください!
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教育庁 文化財保護課 保存管理グループ
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