第6回 大阪府広域自治制度に関する研究会開催結果 概要

更新日:2016年8月17日

  • 日時:平成20年2月21日(木曜日)午後6時から8時
  • 場所:大阪府職員会館会議室4(大阪府庁新別館北館5 階)
  • 出席委員:
    (座長) 新川達郎 同志社大学大学院総合政策科学研究科長
    (副座長)山下 淳 同志社大学政策学部教授
     中井英雄 近畿大学大学院経済学研究科長
     玉岡雅之 神戸大学大学院経済学研究科准教授

1 開 会

● 挨拶

(企画室長)

  • 本日は、前回の会合で議論に至らなかった「道州制導入にかかる主な課題(懸念)」についてご議論いただきたい。
  • ご承知のように、道州制については全国の知事が全て積極的な立場をとっているわけではない。関西においても、消極的な立場をとる知事は少なくない。
  • その背景には、府県を廃止し、より広域の自治体を設けることによって、これまで県庁所在都市として有してきた中枢機能を失い、周辺部へ押しやられるのではないか、ということへの不安もあるように感じる。
  • 併せて、中央政府のあり方が今後具体的にどうなるのかなど、ご議論を頂ければと考えている。前回の会合で示したものと同じだが、若干の資料を用意しているので、忌憚のない意見交換をお願いしたい。
  • なお、今後、これまでの議論を一定の論点として整理し、広く意見を聞いていきたいと考えているので、宜しくお願いしたい。

2 議 事

● 道州にかかる主な課題(懸念)について

(事務局)

⇒ 配布資料(資料1、前回会合資料8から13)について説明

(1)住民自治の確保について

(山下副座長)※座長到着までの間、進行を担当

  • 住民自治の確保が改めて道州制で問われる背景としては、一つに「面積が大きくなるので住民との距離が遠くなるのではないか」という指摘がある。広域化、遠距離化となった状況で、住民自治が希薄になるのではないかという懸念。そのことに対する対応策が取られるべきか、あるいは特別の制度が要るかどうか。

(中井委員)

  • 憲法で連邦制を謳っている国では、基礎自治体については州の憲法又は州法で規定しているはずだ。道州制導入で憲法を変更しないのであれば、少なくとも基礎自治体は「地方自治の本旨」を憲法上保障された存在と考えられるのではないか。ところで、住民自治の議論対象は基礎自治体だけなのか。

(事務局)

  • 基礎自治体だけとは限らない。道州も自治体である以上は住民自治の保障は必要になると思われる。

(副座長)

  • 極端な言い方をすれば、道州をどのような制度設計にするかは別として、選挙は必ず必要になる。二元代表なのかは分からないが。間接民主主義が議会あるいは首長との関係で維持されるということは前提となる。問題はそれだけで良いのかという政策論である。もう少し住民自治の要素を高めるのか、補強するのか。広くなって距離が遠くなる分、反比例する形で直接民主主義的な要素を取り入れるのか。最近、流行りの協働の理屈かはさておき、住民が道州の行政活動に対して参加、コントロール、監視できる仕組みが要るのではないか。
  • また、選挙によって代表者を選ぶにしても、距離が遠くなってしまった政府は憲法が本来予定している地方公共団体と呼び得る存在なのか、ということが論者の頭に在ると思う。

(玉岡委員)

  • 論じる人によって住民自治のイメージが全然違っていて、違う土俵で違う相撲を取っている感じがする。この研究会で想定している住民自治が何なのかによって、道州と基礎自治体との協力関係などが変わってくるので、はっきりさせる必要があると思う。皆さんの意見を聞きたい。

(副座長)

  • 個人的には、間接民主制が前提の上で、直接民主主義的な要素を強く補強する必要があると思っている。程度も問題だと思うが。
    ※ 座長が到着、副座長から進行役を交替

(副座長)

  • 今は、「府県でも住民との距離が遠いといわれている中、道州ではより広域化して更に遠くなるのではないか。住民自治をどう確保するのか」という批判に対する論点について議論していた。

(中井委員)

  • 住民自治の定義をはっきりしておきたい。財政学では、あまり住民自治の定義は教科書にも出てこない。住民自治と団体自治の区分ぐらいはあるが。

(副座長)

  • 住民自治というのは、自治体との関係で如何に民主主義が確立されているかという問題だと思う。

(中井委員)

  • では、団体自治とはどういうものなのか。

(副座長)

  • 団体自治は国との関係でどれぐらい自立性、独立性があるかということ。住民自治は、団体内部の構成員との関係で、自らの意思決定や行動について民主的な運営が為されているか、ということだと思う。

(座長)

  • 教科書的にはそれで間違いない。

(中井委員)

  • それは理解できる。イギリスの自治体は自主財源比率は殆ど気にしていないが、行政サービス水準については、それぞれの地域で税率を動かして受益と負担を合わせている。これは財政学の立場からは住民自治的だと感じる。しかし、我が国では、自治体の自主財源比率を気にして、ずっと3割、4割自治と言われてきた。イギリスと比較してだが、我が国が自主財源比率を求めていたのは、団体自治と住民自治の観点からだったのだろうか。

(座長)

  • イギリスの自治体も団体としての人格を持っているので、当然団体自治もあるし、民主的にカウンシル(地方自治体のこと)を中心に動いているので住民自治も貫かれている。日本と比較するならば、中央政府との関係でどちらがより統制度が高いか、あるいは自治体行政への住民参加度がどうか、といった議論はあると思うが。日本の場合、自治体の自主財源の大小について、団体の自立性と住民意思が反映された行政運営という住民自治の観点からも、その度合いが小さいことを象徴して3 割自治という言い方がされてきた。団体自治も住民自治の裁量が3 割しかないという趣旨で言われてきたと思う。

(中井委員)

  • イギリスの自治体は1 割自治だと言われている。団体自治の観点で言うと、日本の自治体の方がまだましなのか。

(座長)

  • 日英の地方制度のセッティングが全く違うので比較できない。むしろ団体の自立度で言えばどちらも同じようなものだ。国家対自治体、あるいは自治体間同士の関係も同じようなものだ。国による自治体への統制度についてもケースバイケースである。
  • イギリスの場合、基本にあるのは国の法律で自治体の権能が全て授権されるので、日本以上に自治体の権能は(国家に)決められていると言える。一方で、与えられた権限の範囲内では、きちんとした自治が行われているので、団体自治も住民自治も確保されていると言える。日本の場合、境界線がかなり曖昧なので、日本の方が自由だという意見がある一方で、国の種種のコントロールが残っているため日本の方が不自由だという意見もある。

(副座長)

  • 「自前の財源がこれだけなので財政的に自立していない」という意味で言えば、イギリスは1 割自治で日本は3割、4割自治なのかもしれない。しかし、このような乱暴な比較をしてもあまり意味が無い。

(座長)

  • スウェーデンでは自主財源が50%を超えているから自治が進んでいるのか、と言えばそうとも限らない。国が細かく規定していたり、県と市町村との役割分担が不明瞭だったりと、きちんとした自治が行なわれていない場合も結構あるので、一概には比較できないと思う。

(玉岡委員)

  • 道州制が出来れば州都が遠くなるのは物理的に当たり前の話なのに、そこに焦点が当たってばかりいる。住民と基礎自治体との距離を如何に近づけるかという議論が全然されていない。

(座長)

  • 道州制になると距離が遠くなるという議論が何故必要なのかよく分からない。基本は代議制民主主義なので、代議制がしっかりしていれば何も問題は無いはずだ。敢えて住民との距離のことを言えば、住民が道州をイメージしにくいことはあるだろうが、それは日本国や地球のことを考えるのと変わらない。身近な問題は市町村レベルの話が多いはずだから、そこでの代表や参加を考える方が、意義がある。道州制では、道州の重要課題については道州民の直接参加的な手法も検討も用意できるだろうから距離の問題ではないように思う。

(副座長)

  • 距離の話で言えば、今の府県と比較した場合はどうなのだろうか。別の言い方で言えば、今の状況を犠牲にしてまでも道州制を導入するのか、というニュアンスに繋がると思う。

(座長)

  • その議論は、結局、府県制を廃止して全部市町村に権限移譲するのが良いという議論になるのではないか。

(副座長)

  • そこまでは言わない。現状を変えていくという議論である。
  • 現行府県であっても、間接民主主義を原則としつつ、より実質的な直接民主主義的な参加の充実は当然要請されているところである。但し、きちんとなされているかどうかは大阪府も含め問われるところではある。道州制になって、現行府県よりも広域化するのだから、直接参加手法の充実を図るべきだという議論は出来ると思う。これは、道州制導入の「懸念」という観点とは違うような気がするが。

(事務局)

  • 大阪府の立場から見れば、「懸念」の一つとして議論すべきと思う。首長が公選制で、かつ議会という組織があるのであれば、制度的には住民自治が担保される訳だが、まして最近は情報公開が当然のことであり、住民の知る権利と府政に対し意見を表明する仕組みについては、努力してきた経緯がある。情報公開はその根幹であるけれども、面積が広くなったからただちに弊害があるかというのは実感できない。
  • 自立可能な広域経済圏をつくるための道州制という議論だとするならば、面積が広がったから、住民によるコントロールの上で問題が発生するわけではないと思う。今の府県にも同じことが言えるのではないか。

(座長)

  • つまり、今の府県では住民自治が出来ていないのに、そのまま道州制に持っていっても、同じように住民自治は出来ないだろう、という議論か。

(事務局)

  • そのような議論もあるのではないか。

(中井委員)

  • 過去の会合で出た議論で、エリアの狭い府知事の選挙でも大変なのに、道州制になった時に選挙活動が出来るのか、という議論があったが。

(事務局)

  • 実態面で考えたとき、広域化になったときの首長を選ぶ際に、公平な選挙が出来るのかということは正直見えない部分がある。

(座長)

  • 直接公選の大統領制を実施している国は同じ問題を抱えている。アメリカみたいに、予備選挙をやってから大統領選挙人を各州で選出して大統領を選ぶ仕組みもある。道州制の首長の選出については、従来のように一斉に選出するやり方は乱暴かもしれない。どのような仕組みが良いかはよく分からないが。

(事務局)

  • 直接請求の制度について現行府県制度でも用意されているが、道州になればもっと使いにくくなるのではないか。

(座長)

  • 直接請求制度を今の要件のまま道州制でやろうとすれば、リコールにしても議会の解散請求にしても事実上不可能である。千六百、七百万人の有権者に対して、五百万人以上の署名なんてありえない。
  • 道州制になれば、制度的には要件を緩和することを考えてもよい。何万人かの署名が集まって請求すれば少数意見であっても聞きましょう、という制度があってもよい。

(副座長)

  • 現行制度の要件自体が合理的な数字ではない。むしろ直接請求が実際に使えるような道具になるように、本当は成立要件を考え直すべきだ。少しづつは要件の切り下げは行われてきたのだが。

(座長)

  • 使える制度になるように制度設計すべきである。

(副座長)

  • 何分の何という要件が絶対ではない。ただし、あまりにも軽々に使用されると危険だが、およそ使えない制度とするのはおかしい。制度設計の問題である。

(座長)

  • 人口が1万人以下の自治体では、3分の1、あるいは50分の1と言っても大丈夫だと思うが、10万、20万人を超えると難しくなる。昔、仙台市で条例制定の直接請求に携わったことがある。50分の1に当る1万6千人の署名を集めるのは大変であった。

(中井委員)

  • 情報公開について少し疑問がある。情報公開は紙を配っているだけではない。大阪府のホームページ上で情報公開することは、日本国内に広がることであり、英語版では世界中に広がることになる。リコールの署名運動は自筆であるだろうが、このIT化という大きな変革の中で、それだけを前提に考えておいてよいものだろうか。

(座長)

  • それは当然考えないといけない話である。選挙制度についても、今後は単に投票所に行って電子投票すればよいという話だけでなく、ネット上で本人確認さえ出来ればネット上での投票さえもあり得る。ビジネスの世界は完全にその方向に移行している。

(中井委員)

  • 州都への距離という問題はもちろんあるが、物理的な距離のウエイトが徐々に減少して、それをITが補完することはあり得るだろう。

(事務局)

  • 今もその流れにあると思う。直接参政権を担保するために色んな提案がある。パブリックコメント制度の実施もそうだし、情報公開についても、請求される前にホームページ上で情報を自主的に公開することも進めている。
  • 最近は、住民投票の議論もよく議論されている。府県のように中間的で遠い存在であっても、住民参加手法を色々採り入れている。かつてはその役目は議会が担い、行政が余計なことはしないという考え方だったが、今は住民参加の考え方も大きく変わってきた。

(中井委員)

  • 今、アメリカ大統領の予備選挙をやっているが、候補者が有権者に直接訴えかけることと、ネットやメディアを駆使した情報提供を行うことによって、候補者と住民との物理的な距離感が確実に近づいていくことがあるように思う。

(2)道州内での一極集中への懸念について

(副座長)

  • これは専ら道州がどのような地域戦略や計画を立てて実行していくのか、という話ではないか。我が国では、国レベルでは東京、府県の場合では県庁所在地、という風に、一極集中になるのは当然という考え方があるように思う。過去を見ればそう通りなのだが。むしろ、これは政策的なレベルの話ではないか。

(事務局)

  • 現行では、府県単位で一定レベルの行政が保障されるように交付税制度などの制度がある。それが道州制に再編されたときに、地域によっては資本投下されないのではないか、という懸念がある。

(座長)

  • 道州制論議で進めないといけないとされる議論に、従来型での資源分配が非効率なので何とかしなければ、ということがある。個人的には、東京一極集中が進み過ぎて、日本国全体でバランスが取り難くなってきたので、道州単位で考える必要があるのではないか、とは考えていたが。

(事務局)

  • (配布資料を示して)京阪神都市圏以外の地域にどれだけ5万人、10万人以上の都市があるかをプロットしてみた。地域拠点となる都市が全く無い地域が出てくるので、それらの地域とバランスを取っていくことも道州の役割になってくると思う。

(副座長)

  • バランスを取ることは結構なことだが、問題はバランスの中味である。これまでのように、日本全国一律というバランスの取り方ではなく、選択と集中をしつつ、ということになるはずだ。先ほど戦略の問題と言ったのは、このような対応に正解という対応がある訳ではなく、各道州によって採るべき地域戦略も違ってくるだろうし、政策的な意図や決断も入ってくるだろう。地域の中核都市を重要視する戦略もあるだろうし、それ以外の戦略もあろう。

(座長)

  • 実際の経済活動からすれば、効率の良い所に集まるので、行政区画の形で無理矢理再配分の仕組みを作っておかないと、資本は留まらないで自由に移動してしまうことはあるだろう。
  • 北海道を見ていると、完全に札幌に一極集中である。東北では仙台であり、「むしろ東京に流出せず、札幌、仙台で留まってくれないと困る」という人もいる。一方、九州の場合は、福岡に集中してしまうことを懸念する声が強い。熊本市や鹿児島市のように充実した拠点都市があるからだろう。北海道や東北には拠点都市が少ない。

(事務局)

  • 府県は明治以来100年間以上続いているので、県域へのノスタルジーから発生してくる問題もある。今は何々県に住んでいるという意識があるのに、それが無くなるとなれば、アイデンティティの問題が大きいと思う。
  • 今は各府県にNHK支局や地裁があるなど、一定の公共機能がフルセット型で備わっている。これが道州制になれば集約され、発信力の低下に繋がるとの懸念を持っておられる県の立場は理解できる。

(玉岡委員)

  • 過去の会合では、行政機関は何処かへ集中しても、道州圏域のGDPを高めることによって全体の発展を目指すというのが、論議の方向ではなかったかと思う。物理的な距離の問題は仕方ない面があるが、その中でどう制度設計するかという話である。

(座長)

  • 行政区画が無くなったからアイデンティティも無くなるかと言えばそうではないと思う。高校野球の心配をする人がいるが、旧県単位で高校野球予選をやっても誰も文句言わないと思うが。

(中井委員)

  • 県庁所在地がなくなれば、県庁機能がその都市から無くなり、旧県職員は道州の職員となる。その意味では、集中するという意味は理解できるし、旧県にとってはマイナス要因である。
  • また、霞ヶ関に集中している権限が道州に移譲され、仮に州都に集中したとしても、わざわざ東京まで行かなくても良くなるというプラス面もある。

(座長)

  • 権限が道州に移譲され、圏域内のGDPが増えれば、道州内での再分配ができる。1+1が3になる可能性がある政策を打てるようになる。

(中井委員)

  • これまで過疎地域のことは県が考え、国が後押ししてきた。この話は府職員にとって経験したことがないので難しいと思う。道州制になれば、850万人の府民だけを相手にするのではなく、倍の人数を相手にしていかないといけない。
  • 過疎問題の対策は交付税を載せれば済むような簡単な話ではない。論理的には1+1が3になると言われて賛成できても、感情の部分ではそう簡単に割り切れるものではない。最後には、やはり歴史と文化が重要な要素を握っている。意識の違い、アイデンティティの違いはなかなか埋まらないところがある。

(副座長)

  • 歴史と文化は市町村合併の絡みでずっと出てきていた話である。アイデンティティ、歴史と文化その種のものと、国や府県、市町村、道州も「単に行政単位の話」と割り切るのも一つの手ではないか。これは、何十年か経てば故郷意識が湧いてくるという議論にも繋がる。
  • どのエリアの単位であれば、ある程度一体感があるのかという話と、もっとドライに政府の区画としてどうか、あるいは経済活動の区画としてどうか、という両方から考える必要がある。その区画が一致すればハッピーだが、一致するかは分からないと割り切った方が良い。
  • むしろ、道州になった場合に、旧県単位で何か残すかどうかが課題ではないか。

(座長)

  • 旧県単位で何か残す必要があるだろうか。必要性を唱える人の根拠が良く分からない。広域行政であれば、複数市町村が連携してやればよい。それ以上の行政システムが必要であれば、アドホック※に考えればよいだけだ。
※ 特定の目的のために組織や機能などを作ること

(副座長)

  • 道州の総合出先機関のようなものが必要とすれば、今の府県域単位が妥当かと言えば少し違うような気がする。旧県単位にこだわる必要はないのではないか。

(事務局)

  • アドホックな機関、例えば、河川管理であれば現地事務所は必要かもしれないが、総合出先機関のようなものは必要だろうか。

(座長)

  • 総合出先はどう考えても必要ないし、アドホックな機関も市町村ベースで設置し、水平連携するのが本来の筋ではないか。道州は全体を睨みながら発言の場を作ることは必要かもしれない。

(副座長)

  • 国の出先機関との絡みとして、国交省や農水省の道路や河川の技術者を道州がどのような形で取り込むか。河川行政、道路行政をどのように担うかに拠るが、技術力と財源をどうするかはポイントになる。道州の事務所になるのか、基礎自治体による広域連合のような形になるのか、気になるところである。

(座長)

  • お金や権限の流れは整理できると思うが、人や人に付随する技術の流れは、別立てで考える必要がある。プロフェッショナルな集団は別扱いする方が良いのかもしれない。

(副座長)

  • 国の出先機関の技術者は道州で抱えることになるだろうし、そうしなければいけない。しかし、実際に彼らが担う現場(河川や道路、港湾等)との距離の近さも考えないと。

(座長)

  • 人と権限とお金は切り離して考えないといけない。要するに、広域連合であれば予算と権限は市町村ベースで考える。ただし、そのエリアに技術者を張り付けられるかは分からないので、人材は道州でプールすることはあり得る。イギリスには、このようなシステムがある。技術者の専門集団が仕事のある自治体を探して動いている。何も問題は無いと思う。
<日程調整>
→調整の結果、次回の研究会は次のとおり決定
● 第7回研究会
 日時:平成20年3月31日(月曜日) 午後1時30分から3時30分
 場所:大阪府市町村会館会議室(大阪府庁別館6階)

このページの作成所属
政策企画部 企画室連携課 連携グループ

ここまで本文です。


ホーム > 府政運営・市町村 > 政策 > 地域主権の推進 > 第6回 大阪府広域自治制度に関する研究会開催結果 概要