「誰もが幸せに生きる」とはどのようなことなのか、改めて考えました。
私は小学生のころ、「二日月」という本に出逢いました。きっかけは課題図書の一つでしたが、私は「二日月」に出逢うことができ「誰もが幸せに生きる」ことについての考え方、想うことが増えました。
本に出逢うまでの私が想う「誰もが幸せに生きる」とは、「好きなことを好きだと思えること」でした。勿論今もこの想いは変わりません。しかし、この本に出逢ってから様々な方向から、大切なことや幸せだと想うことができました。
「二日月」は、障がいをもつ妹「芽生」の姉である「杏」が、妹と一緒に生きていくなかで様々な想いを抱き沢山の経験をする話です。私がこの本を読んで感じたことは、「自分の目と周りの目」です。自分の目で見える景色や感じることと、周りの人が見える景色や感じることは違います。では、周りの人に向ける視線、向けられる視線はどうでしょうか。私は、「誰もが幸せに生きる」ことの一つに、「向ける視線と向けられる視線を変える」ということを考えています。世界では、障がいのある方やコンプレックスで悩んでいる方が沢山います。そしてそのことでいじめを受けたり差別を受ける方もいます。悩んでいる方がいる中、私には何ができるのだろうかと考えました。そして辿り着いたのが、「向ける視線と向けられる視線を変える」でした。しかし、「人の視線」を簡単に変えることはできるのでしょうか。きっと簡単に変えることはできません。ですが私は、視線にも相手を想う気持ちが必要なのではないかと考えました。人は日常的にコミュニケーションをとります。コミュニケーションをとるときに、発言に注意をしたり、相手に配慮をする想う気持ちが必要です。それは視線にも大切なことなのではないでしょうか。
「誰もが幸せに生きる」ということについて、本を通して「想いのある視線」が大切だと考えることができました。「向ける視線と向けられる視線」を変えるために、まずは自分自身で「想いのある視線」を心がけ、皆が幸せに生きることができる社会を皆で創ることができたらと思いました。
「二日月」
作 いとう みく
絵 丸山 ゆき
そうえん社
このページの作成所属
府民文化部 人権局人権企画課 教育・啓発グループ
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