私は、ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本を読みました。この本は、書店で目立つところにたくさん置かれていて、どのような話なのか気になったので選びました。
本の内容は、著者の息子さんがイギリスでの中学校生活で実際に経験した出来事を書いたものです。息子はカトリック系の裕福な家庭の子どもたちが通う小学校へ行っていて、中学校もそのまま進学する予定でした。しかし、小学校で仲の良い友達が地元の中学校へ通うということを知り、息子も友達と同じ中学校へ行くことにしました。その中学校は多くの低所得層の家庭の子どもたちが通っていて、「元底辺中学校」とまわりから呼ばれるほど評判の悪かった学校です。息子はその学校へ入学し、小学生時代には経験したことがないような出来事に直面しながら、その出来事について考え、向き合い、そして成長していく、という話です。本の中身は十六個の出来事について書かれていて、特に心に残った二つの話について書きたいと思います。
一つ目は、低所得家庭の子どもの昼ごはんについての話です。中学校は学食制なので、生徒たちが好きな食べ物を選び購入する仕組みなのですが、お金がなく、それを買えない子がいます。そのような生徒のためにフリー・ミール制度という国からの補助金を受け取る制度があるのですが、その金額が少なく、全然足りないので、学食で食べ物を万引きして食べるしかない生徒がいます。その結果その生徒は犯罪者としていじめられてしまいます。私はこの話を読み、ごはんを買うことができなくて、万引きしてしまうほど困っている人が、先進国と言われるイギリスにもたくさんいるのだということを知り、驚きました。家庭が低所得である理由がその人たちにはどうしようもない原因であることも多いだろうし、まして子どもには何の罪もありません。それなのに、万引きという犯罪を犯してしまわなければ生きていけない現実は、改善されてほしいと思います。そしていじめが行われることは絶対にいけないと思いました。
二つ目は「元底辺中学校」の教員の話です。一つ目の話で、ごはんが食べられなくて困っているとあったように、この学校にはお金に困っている生徒が多くいます。なので、教員が自分の意志で生徒を助けることがあるそうです。例えば、私服参加の学校行事に来ない子がいると、服を買ってあげたりします。学校に対する補助金で生徒やその家庭を助けることもあるのです。私は、教員がそのようなことをしていることにとても驚きました。この本に「教育者をソーシャルワーカーにしてしまった。」と書かれていて、本当にその通りだと思いました。この学校の教員がしていることは本来は教員がしなくてはならないことではありません。教員は、生徒が困っていたら助けてくれる頼れる存在ではありますが、金銭的に助けるのは違うと思いました。この学校の教員が自分の意志で生徒を助けているのは良いことだと感じますが、ずっと続けるには限界があるし、教員への負担も大きくなりすぎます。このような教員個人が生徒を助けるといった状況を改善するには、フリー・ミール制度で受け取れる補助金の額を多くしたり、親が安定した収入を得られる仕事に就くことができるといった社会をつくることが必要で、そのためには、一つの学校だけでなく政府の力も必要だと考えました。
これらの他にも興味深い内容の話がたくさんありました。著者は日本人なのですが、イギリスで生活しており、英語を話すので日本語の方がぎこちないそうです。日本に帰省したとき、レンタルショップ店でぎこちない日本語から日本人ではないと見られ、不審者であるかのような対応をされたそうです。
この本の話は、貧困や格差社会問題、いじめや人種差別など多くの問題を私たちに投げかけているのだと思います。頭では分かっていても、実際に自分がその現実を見たときに適切な行動をとれるか分かりません。普段から色々な世界のことを知り、考える習慣をつけていかないといけないと感じました。
最後に「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」というタイトルは、息子のノートに書いてあった言葉だそうです。「イエローでホワイト」というのは、日本人の母とアイルランド人の父をもつ自分自身のことを表していると思います。そして、ブルーの表す感情は悲しみですが、息子は怒りだと思っていたそうです。先生に添削され、正しい意味を知るのですが、このノートに書かれたメモが添削前か後のどちらに書いたものなのかを著者は聞けずにいるそうです。私は、きっと悲しみも怒りもあるのだと思います。このように人から傷つけられる人がいなくなる世の中になれば良いなと思いました。
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
著 ブレイディ みかこ
新潮社
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府民文化部 人権局人権企画課 教育・啓発グループ
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