所在地: 堺市中区宮園町
種類: 集落跡
時代: 古墳・平安・中世
調査期間: 平成29年6月から平成30年1月
主な遺構: 中世の粘土採取土坑群(どこうぐん)
主な遺物: 土師器、須恵器、瓦器(がき)、瓦質土器(がしつどき)
堺市中区に所在する宮園遺跡は、泉北丘陵上の緩い傾斜地に立地しています。東西800メートル、南北430メートルの範囲が遺跡とされており(図)、中世(鎌倉から室町時代、おおよそ12世紀から16世紀)を中心とする時期の遺跡と考えられています。宮園遺跡の周辺には、主要な遺跡として、北に深井清水町A遺跡(ふかいしみずちょうえーいせき)(古墳時代から中世)、東に深井幡池遺跡(ふかいはたいけいせき)(古墳時代・奈良時代)、南に平井遺跡(旧石器時代から中世)、西に八田北町遺跡(はんだきたまちいせき)(弥生時代から近世)などがあります。
今回の発掘調査は、府営八田荘住宅の歩道設置に伴って、長さ約220メートルにわたり、約530平方メートルを対象として実施しました(写真1)。その結果、中世を中心とする時期の遺構・遺物や、埋没した谷が見つかりました(写真2・3)。昨年度に実施した発掘調査の成果と合わせて考えることにより、現在の地表面からはわからないかつての地形や、むかしの暮らしのようすを、より詳細に復元することができます。以下では、個別の遺構について解説します。
■ 図 調査地の位置 ■写真1 調査地の全景
(国土地理院作成の基盤地図情報をもとに作成。遺跡の範囲については大阪府地図情報提供システムに基づく。)
【中世後期の土坑群(どこうぐん)】 地形がやや高くなっている部分を中心として、多くの土坑が掘られていました(写真2)。これらの土坑は、土が粘土質から砂質になると掘るのをやめていること、掘ってすぐに埋め戻されるものが多いことなどから、粘土の採取を目的としたものだったと考えられます。これらの土坑からは、瓦器(がき、写真4)や瓦質土器(がしつどき、写真5)が出土することから、土坑群が鎌倉時代から室町時代にかけて掘られたことがわかります。なお、こうした粘土採取土坑のなかには近代に下るものもあり、宮園遺跡一帯が連綿と粘土の供給地であったことがわかります。宮園遺跡の南方に位置する平井遺跡では瓦器を焼いた窯が見つかっており、今後、瓦質土器を焼いた窯も周辺で発見される可能性があるでしょう。
■写真2 中世の土坑群 ■写真3 谷の落ち際
【台地を刻む谷】 昨年度の調査と同様に、埋没した谷が見つかりました(写真3)。昨年度の知見から、この谷は6世紀頃から徐々に埋没していき、8世紀にはほぼ平坦に整地されたようです。その後、粘土採取が行われる中世には、調査地の全域が水田として利用されていました。粘土採取は稲の刈り取りを終えた農閑期に行われ、すぐに水田として復旧されたのでしょう。こうした水田としての土地利用は、江戸時代を経て八田荘住宅の建設直前まで続くこととなります。
■写真4 瓦器の出土状況 ■写真5 瓦質土器の出土状況
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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ
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