陵東(みささぎひがし)遺跡

更新日:2023年9月27日

遺 跡:陵東遺跡(みささぎひがしいせき)

所在地:羽曳野市島泉八丁目・藤井寺恵美坂二丁目

時 代:縄文から中世

調査期間:令和5年1月から6月

主な遺構:池、耕作面(水田跡)、溝、自然流路

主な遺物:縄文土器、弥生土器、須恵器、土師器

 

■陵東遺跡の概要

 陵東遺跡は、羽曳野市と藤井寺市にまたがる遺跡です。平成17年度に試掘調査を実施したところ円筒埴輪が出土し、また古墳時代の溝を検出したことから新たな埋蔵文化財包蔵地として周知した遺跡です。

 文化財保護課では都市計画道路八尾富田林線の工事に伴って、令和2年度から発掘調査を行ってきました。今回が6回目の調査となります。

 前回の調査では、古墳時代前期の井戸や、古墳時代中期から後期の水田畦畔の痕跡などを確認しています。

 

■今回の発掘調査の成果

 地籍図や江戸時代の絵図を見ると、今回の調査区は近世に池として利用されていたことが分かります。しかし、池であった頃の堆積からは近世の遺物だけでなく、古代から中世の遺物も出土するため、長期にわたって池として利用されていたと判明しました。

 池に伴う堆積物を除去すると、古墳時代の水田層が遺存しており、畦畔の痕跡を確認することができました(写真1)。一区画の形状、面積は不定形ですが、およそ長方形を志向していることがうかがえます。

 水田層の下層では、古墳時代中期に属するコの字形の溝が検出されました(写真2)。溝の中からは古墳時代中期に属する大量の土器が出土しています(写真3)。溝の底で出土した土器は日常で使用された痕跡があまりなく、土器を集めて据えている状況も確認できたことから(写真4)、この溝ではなんらかの祭祀がおこなわれた可能性もあります。

 さらにその下層では、縄文時代晩期から弥生時代前期に属する自然流路(河川)を検出しています(写真5)。この流路では縄文時代晩期の土器と弥生時代前期の土器が同じ層から出土しており、縄文時代から弥生時代にかけて機能していたことが分かりました。また、これらの土器はほとんど摩滅しておらず、川の中で流されてきたものではないと判断できます。そのため、近隣に当該期の集落が存在した可能性も考えられます。

 

畦畔

写真1 古墳時代の水田畦畔の痕跡

 

コの字形溝

写真2  古墳時代中期のコの字形溝

 土器出土状況1

写真3  コの字形溝の土器出土状況(1)

土器出土状況2

写真4  コの字形溝の土器出土状況(2)

自然流路

写真5  縄文晩期から弥生時代前期の自然流路

このページの作成所属
教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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