上垣内遺跡現地公開資料

更新日:2024年1月22日

はじめに

 上垣内(かみがいと)遺跡は、枚方台地の南西端部、讃良川を南方に望む丘陵と、その斜面に位置する遺跡です。周辺には国指定史跡である高宮廃寺や石宝殿古墳、府指定史跡である忍岡古墳など、古墳時代から飛鳥時代の著名な遺跡が数多く所在しています。

  近年、上垣内遺跡内に計画された道路建設に先立ち、大阪府教育庁文化財保護課によって平成25 年度から継続的に発掘調査を実施してきました。これまでの調査では、古墳時代の竪穴建物や奈良時代の掘立柱建物が確認されています。今年度は、大阪府文化財センターも発掘調査を実施し、横穴式石室が見つかりました。

  大阪府の調査地は東西に長く、幅約20m、長さ約260mに及ぶ範囲を令和5 年4 月から調査してきました。今回公開する調査区は、讃良川と藤谷川に挟まれた丘陵の先端付近にあたります。

  

調査成果

 今回の調査区では、掘立柱建物1 棟が検出されました。この建物の桁行は3 間(約6.5m)、梁行は2 間(約4.2m)であり、床面積は約27.3 平米となります。これは古代の建物としては平均的なサイズといえます。建物の主軸は西に約14°振れており、地形にあわせて建てられていることが分かります。

  また、建物の柱掘方から鍋の取手が出土しており、これの年代観から飛鳥時代に建てられたことが判明しました。詳細な時期は確定できませんが、文化財センターが発掘した石室とほぼ同時期にあたると考えてよいでしょう。さらに、柱穴にはすべて柱を抜き取った痕跡を確認できます。そして、その抜取り穴の中には焼けた壁土や炭化物が多量に含まれており、この建物は火災にあって廃絶したと推測されます。

  建物が廃絶した後は、讃良川へ向かって傾斜する地面に大規模な盛り土をおこない、平坦化しています。おそらく、耕作地を獲得するために大規模な造成工事をおこなったと推測されます。盛り土の中には飛鳥時代の土器が多く含まれ、また、奈良時代の土器もわずかに含まれていました。このことから、調査区周辺の飛鳥時代の地形を奈良時代に削平し、盛り土をおこなっていたと考えられます。

 

まとめ

 上垣内遺跡の位置する旧讃良郡域は飛鳥時代の遺構・遺物があまり多くはなく、これまでの調査で遺構が集中的に見つかっているのは四條畷市の正法寺周辺と、寝屋川市の高宮廃寺周辺に限られています。そうした状況にあって、今回見つかった建物からは、この周辺に飛鳥時代の集落が存在した可能性を予見させます。また、奈良時代において大規模な造営工事をおこない、耕作地を獲得していることなど、今回の調査によって地域の歴史を考えるうえで重要な成果を得られたと言ってよいでしょう。

 

★現地公開資料はこちらから→上垣内遺跡現地公開資料 [PDFファイル/6.09MB]

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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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