難波大道(なにわたいどう)

更新日:平成27年8月20日

今回の大和川今池遺跡の発掘調査で、東西両側の側溝を備えた難波大道を検出しました。
『難波大道』とは、7世紀に現在の大阪市中央区法円坂付近に置かれた前期難波宮(651から686年)から難波京域の中軸線上を南へ直進する「朱雀大路」に続く南北方向の道路跡です。
 日本書紀』の推古天皇21年(613)11月条にある「又、難波より京に至る大道を置く」の記載が示すように、飛鳥時代に飛鳥と難波を繋ぐ主要官道(現在の国道)であったと捉えられており、難波宮から摂津と河内国の境を直線的に南下し、長尾街道・竹内街道のいずれかの東西道に接続するものと考えられています。

 東側溝の規模は幅2.0から2.9m・深さ0.3から0.7m、西側溝は幅1.5から1.7m、深さ0.3から0.7mで、側溝に挟まれた道路の幅員は約17m、両側側溝の芯々では幅19mになります。道路中央部分は大道廃絶後に条里畦畔として利用されていたため、道路造成時の整地土が一部残存していました。

画像です。難波大道全景写真

難波大道全景写真

画像です。難波大道東側側溝

難波大道東側側溝

  

◎現地説明会資料はこちら(財団法人大阪府文化財センターのページへ)

このページの作成所属
都市整備部 富田林土木事務所 松原建設事業所

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