全国犯罪被害者の会幹事 林良平さん

更新日:平成21年8月5日

被害者等の声(本文は、執筆者の原文どおり掲載)

(1) 林 良平さん(全国犯罪被害者の会幹事)

【事件】
 1995年(平成7年)、阪神大震災の8日後の1月25日、私の妻は犯罪被害者となってしまいました。
 仕事帰りの横断歩道で、見知らぬ男にいきなり出刃包丁で腰背部を根元まで突き刺されたのです。次男の5才の誕生日を祝った翌日の出来事でした。
 大量出血のショック状態で救急搬送され、術中の総出血量は7955cc、最終的に10,000cc出血しました。かろうじて命は助かりましたが今も重い障害に苦しんでいます。
 妻は西成区の「あいりん地区」の日雇い労働者を低額で診療する100人程の職員のいる病院で看護師をしており、内科外来主任でした。事件から4日後、
「おまえの所の医者はなんや、俺を虫けら扱いしやがって。ほんまは外科の医者やりたかったんや。」という電話が勤務先病院にかかり、それがきっかけで2月4日の夕刊に初めて新聞に記事が掲載されました。当時のマスコミは阪神大震災一色であり、妻の事件は報道されませんでしたから、まさに犯人しか知り得ない内容の電話でした。
 事件から13年になりますが、犯人は未だに逮捕されないまま、妻は後遺症で働くことができず、職場からは解雇という結果になりました。

【背景】
 妻も私も、共に鹿児島県の出身です。妻の両親、兄弟がとるものもとりあえず、事件の翌日入院先の病院に集まりました。命は助かりましたが、
「なぜ、自分の娘が、妹が事件の被害者に・・・」という素朴な疑問から、
「なぜ、こんな危険な場所で働かせたんだ」という非難が私に向けられましたが、一切弁明をしませんでした。
 私は、1972年に高校を卒業し、生活費と学費を稼ぎながら学ぶ道を選び、大阪に来ました。親に仕送りをせねばならない環境でしたので、日曜日毎に、「あいりんセンター」で飯場からの送迎バスに乗り、作業現場で「てもと」と呼ばれる職人さんの補助作業をしていました。3,000円弱の日当を手にするためです。その年の冬休みには飯場生活もしました。
 クリスマスイブ、20人余りの大部屋にこの夜は自分一人しかいないと思って布団を頭から被って寝ようとしていた所、「清しこの夜」が聞こえ見渡したら、布団の上をふらつきながら黄色いシミが滲む下着姿でハーモニカを奏でる年老いた人がいました。その姿に自分の父を重ねてしまい、涙が出ました。
 結婚を機に妻は勤めていた鹿児島県内の病院を辞め大阪に来たのですが、こちらでの勤務先を探していた時、この病院が募集をしており、
「看護師としての技術をこの人達のために役立ててくれないか」
と私は妻に依頼しました。
 妻、両親、兄弟への償いとして、また子供への償いとしての私にできる事は、「責を死ぬまで負う」という決意だけでした。

【証拠品でしかなかった当時の犯罪被害者】
 私は、この日本だから被害者には充分な補償や支援があるものと事件に遭うまでは漠然と信じ込んでいました。
 新聞や雑誌等に加害者の更正した姿などの記事が多かったからです。
 しかし、全ては幻想でした。
 「被疑者は国家権力から守らなければならない」という概念が全てに優先し、法律は、法を犯した人間を被害者より崇高な人間扱いしているとわかるまで時間はかかりませんでした。「犯罪被害者等基本法」制定以前の被害者の状況は
「全国犯罪被害者の会」(通称:あすの会)の設立趣意書に集約されています。


       設立趣意書  2000年1月23日

「犯罪被害者は、一生立ち直れないほどの痛手を受けながら、偏見と好奇の目にさらされ、どこから援助を受ける事もなく、精神的・経済的に苦しみ続けてきました。
国が、社会が、犯罪を加害者に対する刑罰の対象としてのみとらえて、犯罪被害者の人権や被害の回復に何の考慮も払わなかった為です。
 先駆者のご努力により、犯罪被害者等給付金支給法が制定され、犯罪被害者を支援する団体も生まれて、ようやく犯罪被害者の権利が社会的関心を集めるようになりました。しかし、犯罪被害者の置かれている現状は、国連被害者人権宣言の精神からも程遠いものです。
  『犯罪が社会から生まれ、誰もが被害者になる可能性がある以上、犯罪被害者の権利を認め、医療と生活への補償や精神的支援など被害回復のための制度を創設する事は、国や社会の当然の義務である』と考えます。そして、犯罪被害者の権利と被害回復制度の確立は被害者自身の問題ですから、支援者の方々に任せるだけでなく被害者自らも取り組まなければなりません。
 そのため私達犯罪被害者は、犯罪被害者のおかれている理不尽で悲惨な現実を訴え、犯罪被害者の権利、被害回復制度について論じ、国、社会に働きかけ、自らその確立を目指す為「犯罪被害者の会」を設立します。全国各地の犯罪被害者が連帯し、「犯罪被害者の会」のもと、それぞれの抱える苦しみと悲しみを生きる力に変え、今生きている社会を公正で安心できるものにするために心と力を尽くします。」


 具体例を挙げれば、2000年のいわゆる「犯罪被害者保護2法」が成立するまで、被害者には裁判が「何時」「何処で」行われるのか、「量刑がどうなったのか」、「犯人は何処の刑務所に入ったのか」、「何時出所するのか」さえ教えてはもらえなかったのです。

【マスコミ】
 被害者におかれている状況に疑念が生じ、1998年の初め頃、朝日新聞に投書したところ、「こもれび」という欄に取り上げられました。
 その後、私は「犯罪被害者の権利を確立する当事者の会」を立ち上げ、7月に設立集会を行いました。ところが10数人の被害者との会合を行ったその日、
「和歌山カレー事件」が起こりました。
 メディアスクラムが問題提起された事件でもありましたが、現実は、犯人であろうと思われる人物への過剰な取材に対する人権擁護が出発点だったようです。しかし一方、このメディアスクラムが我が国で「犯罪被害者」という主体に目を向ける機会にもなった「社会的瞬間」でもあったと思います。
 前年の1997年5月、神戸連続児童殺傷事件が起こり、その被害者家族は大変なメディアスクラムの被害者にもなったことは皆さんご存じでしょう。
 つまり、マスコミはまだこの時点で被害者の立場についての配慮をしていなかった。しかしこの和歌山カレー事件以降、マスコミの視点は大きく転換しました。犯罪の陰に、守らねばならない被害者がいるという事実にようやく気づいてくれたのです。マスコミ報道から受ける「報道被害」には最低でも以下の3つのものがあると私は考えています。
 1つ目はメディアスクラム
 2つ目は報道されないことの不利益、例えば事件報道がされず犯人が逃亡している等
 3つ目は裏付けのない誤報道でもたらされる風評被害
 これらについて、当時マスコミから意見を求められる度にしつこく伝えました。今後も社会の中で共に考えてゆかねばならないものと思っています。
 しかしこの時期、心ある記者の方々に「犯罪被害者の存在」を知って貰った事は重要で、後の被害者の権利確立活動では心強い後押しをして下さいました。
私たちの心からの叫びを理解して下さったからと思います。感謝しています。

【全国犯罪被害者の会(通称:あすの会)の設立】
 2000年1月23日、東京・飯田橋の「東京ボランティア・市民活動センター」で第1回シンポジウムと設立総会を開催して、あすの会は正式に誕生しました。代表幹事は岡村勲弁護士(元日弁連副会長)です。
 代表と私の最初の接点は、1998年12月10日・読売新聞に掲載された「司法の扉 被害者に開け」という代表の論文でした。
 私は「犯罪被害者の権利を確立する当事者の会」の機関紙「クライシス」にこの論文を掲載しようと考え、なおかつ見た人が理解しやすいよう図表化し、代表に郵送し使用許可を願ったのが、最初の出会いでした。電話で「使ってもいいよ」と言ってくださいました。1999年5月の頃でした。
 同年、NHKの「生活ホッとモーニング」という番組が私の家族の状況を取材し、9月29日に放送され、それを見てくださった代表から電話がありました。
「テレビを見て涙が出た。私は立ち上がらねばならないと思う。10月10日の妻の三回忌が済んだら必ず連絡します。」と。
「それまでに被害者の方を集めてください。私の事務所で会いましょう」と。
 1999年10月31日、朝10時、5件の犯罪事件被害者が東京・丸の内にある
「岡村綜合法律事務所」に集まりました。
 皆が自分の遭った事件の実情を語り、くやしさや不条理について涙を流しながら問わず語りに話し合ううちに、「シンポジウムを開いて被害者の会を作ろう」という話があっという間に纏まりました。
 そこで、この5人が設立準備委員となり、翌年の設立総会に繋がったのです。
しかしその総会の2日前に、義父が無念の中、他界したため私は結局参加できませんでした。故郷で会が成功する事を祈っておりました。

【全国犯罪被害者の会(あすの会)の活動】
 犯罪被害当事者の集まりである、あすの会の活動は、ホームページで見ていただく方が良いと思います。(パソコンで「全国犯罪被害者の会」あるいは「あすの会」と入力すれば必ずヒットします) ぜひご覧下さい。
 概略を紹介しますと、
1,ヨーロッパ調査
    あすの会には「犯罪被害問題研究会」という法律家による被害者の権利を研究する機関があります。そこでは欧州の犯罪被害者の権利を調査すべきとの観点から1年半の準備期間の後、2002年9月ドイツ・フランス・イタリアで刑事司法の実情を調査し、犯罪被害者に司法参加が認められている事が分かりました。その結果を「ヨーロッパ調査報告書」として上梓しました。さらにその翌々年には、ドイツとイギリスの犯罪被害者補償制度の実態を調べるために渡欧し「第2次ヨーロッパ調査報告書」も上梓しました。
2,署名運動
    2002年12月8日第4回あすの会総会にて、「被害者の為の刑事司法」「経済的補償制度」を求める署名運動を全国展開することを決議し、また被害者である私たち自身も全国の県庁所在地で街頭署名活動を行う事も決め、2003年2月1日、東京新宿駅前を皮切りに2004年2月1日三重県で最後を締め括りました。最終的に557215人の方の署名が集まりました。
3,陳情・請願活動(地方自治法99条に基づく意見書を国に提出して貰う為)
    2004年3月3日、大阪府・京都府・兵庫県の3つの自治体に同時に陳情したのを皮切りに、全国展開しました。きっかけは2003年秋、堺市議会で私たちが知らない間に、心ある議員さんが率先して議会を動かして下さった事を後で知りました。私たちの新たな活動のヒントとなり全国展開しました。100を超す自治体が意見書を国に提出して下さり、結果的に国会では政府案でなく、議員立法という形で成立させようという機運が醸成されたと後で国会議員の方からお聞きしました。ほんとうに有難いことでした。

【活動の結果】
・2003年7月8日、「小泉首相との面会」
 首相官邸で被害者の抱える問題を聞いていただきました。25分間でしたが、「そんなにひどいのか」とのお言葉が私の耳に残っています。そして、
「政府として検討する」「自民党としても検討する」と言ってくださいました。この言葉が基本法成立への道筋をつけた「鶴の一声」となりました。
・2004年12月1日「犯罪被害者等基本法」成立
・2007年6月20日「被害者参加制度」成立 (刑事司法において)
 これらの全ては、署名をして下さった方々、地方議会の議員さん、マスコミの皆さん、国会議員の方々、他、多くの方々のご理解とご協力があったからこそと深く感謝しています。有り難うございます。

【犯罪を無くすために】
 犯罪は全てを不幸にします。刑務所の年間経費約2000億円を考えますと、馬鹿にならない社会的コストを私たちは負担していることになります。(被害者に関するコストは年間20億円に満たない)犯罪をなくす教育が最重要課題だと思います。
1,矯正施設における教育
  「被害者の視点に立った教育」が行われていますが、私たちが求める真の贖罪教育・更正教育は行われて  いません。それを可能にする法がないからです。再犯を無くす方向性の道筋をつけることが大事と思います。社会全体で考えねばならない今後の課題ではないでしょうか。
2,学校教育
 軽犯罪を含めると、犯罪における若者の比率は低くありません。
 多感な時期に命の大事さ、健康の大事さを教えることが大事であり、犯罪の予防に繋がります。「加害者にならない教育」はできるはずです。
 被害者の視点からそれを教えてゆくことも1つの方法論です。基本法にもこの事が謳ってあります。文部科学省と自治体の取り組みに期待します。

【今後の課題】
 基本法成立の1年後、犯罪被害者等基本計画が閣議決定され、現在はそれに基づく施策が着々と実行されつつあるところですが、「犯罪に関しては警察の守備範囲」「被害者問題は分からない」等を首長部局の方々から良くお聞きします。
 犯罪者に関する刑事司法の観点から言えば、警察の捜査・検察送致・裁判・刑務所収容、という一連には、当然ながら首長部局は関与しません。
 しかし、被害者の権利を謳った「犯罪被害者等基本法」は、被害者の権利利益を守るべき主体として国および地方自治体に責務を課してあります。被害者自身が地域住民であること、隣人であること、幸福に暮らす権利を有するからです。
 私たちは過去の何一つ報われない被害者の立場から、いつどこで被害に遭うか分からない現代社会の中に必要な制度を求めて活動してきました。その制度は確立し、あるいは確立しつつあります。今後は、この制度の執行に重点は置き換わってゆくでしょう。自治体の取り組みの温度差による不公平が生じないことを心から願います。

 

 

 全国犯罪被害者の会関西集会からの意見

・ 一番身近な区役所で、犯罪被害に精通した弁護士を紹介してもらえるようなシステムがあったらよかった。
・ 介護の担い手を失ったとき、行政は、支援の手を差しのべてほしい。地域生活のサービス機関として市町村は、もっと被害者家族に目を向け、生活の実状をとらえたサービスを提供してほしい。
・ 中小企業の経営者に対して被害者の声を伝えてほしい。例えば、裁判のあるときに休みをとるなどの理解を得ること。
・ 「人権週間」での講演会等で、被害者当人から直接話す機会を設けてほしい。
・ 役所から直接支援(相談等)を受けられる組織をつくってほしい。
・ 市町村の役割として、被害者が直接相談に行ける課(又は係)を設けてほしい。
・ たらい回しになり、窓口がわからない。
・ 広報活動をもっとするべきだ。
・ 女性職員が少ない。
・ 市町村の温度差がありすぎているので、一律にしてほしい。
・ 被害者(事件別)に話を聞くなど、職員研修をもっとすることが必要。
・ 地域で孤立せざるをえない被害者が少しでも、そういう状況でなくなるように努力をしてほしい。
・ 上記のことに関して、周りの人たちの偏見や無理解の解消のための努力をしてほしい。
・ 犯罪被害者の現実を知ってもらうことがまず第一。社会・学校等において理解を深めてもらうために、被害者達の生の声を聞いて考えていただきたい。
・ 少年事件では、知人、近所の方からの偏見に傷ついたので、真実などを知ってもらうという意味でも啓発活動を徹底してほしい。特に学校などの教育現場において。
・ 病気などで死亡しても、その手続きや書類の提出など、役所に行くことが多い。まして、事件、事故ともなれば警察などへもいかねばならず、その負担は多大。そういった事情を汲んで、手続きを助けてもらえれば、ありがたい。
・ 区役所単位でちゃんと支援ができる、または対応ができるようにしてほしい。
・ 地域に居る民生委員がサポートに付くなどしてほしい。

このページの作成所属
政策企画部 青少年・地域安全室治安対策課 企画グループ

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