久宝寺遺跡

更新日:2024年3月11日

所在地: 八尾市西久宝寺

種類: 集落跡

時代: 弥生・古墳・奈良・平安・中世

調査期間: 令和4年4月から令和4年6月

主な遺構: 古墳時代のピット(小さい穴)、井戸、土坑(どこう)、溝(みぞ)、古代の井戸、中世の溝

主な遺物: 土師器(はじき)、瓦(かわら)、木製品

 久宝寺遺跡は八尾市西久宝寺に所在する、弥生時代から中世にかけての遺跡です。本遺跡は旧大和川の支流であった平野川と長瀬川に挟まれた沖積地(ちゅうせきち)に位置しています。今回の調査は令和3年度から行われている久宝寺緑地の整備に伴い実施しました。以下では、主に確認した遺構について説明します。

調査位置

図1 調査位置図

1区 古墳時代後期及び中世の土坑、溝が見つかりました。どの遺構も同一の遺構面で確認しており、中世以降の開発の影響を受けていると考えられます。

1区全景

図2 1区全景(西から)

 下層の黒色土層からは古墳時代前期の土器が出土しました。これらの土器は周辺に生活していた当時の人々が廃棄した可能性が考えられます。

2区 古墳時代中期の土坑、古墳時代後期のピット、溝、土坑、中世以降の溝が見つかりました。古墳時代中期の土坑059は、平面形状が隅丸方形であることから柱穴の可能性があります。

2区全景

図3 2区全景(西から)

 下層の黒色土層からは古墳時代初頭の土器が出土しました。1区と同じく土器を廃棄していた可能性が考えられます。

3区 下層で古墳時代前期の井戸、上層で古墳時代中期のピット、土坑、溝、古墳時代後期の土坑、溝、古代の井戸、中世以降の溝が見つかりました。

3区全景

図4 3区全景(北西から)

 古墳時代中期の土坑 101 は平面形状が隅丸方形の土坑です。遺物は土師器、須恵器が出土しています。埋土中に炭化物が多量に含まれており、分析の結果イネの種実であることが判明しました。当時の人々の主食であるイネを燃やすという行為は、何らかの意図を持つものであり、祭祀を行っていたのかもしれません。

土坑101

図5 土坑101 (北から)

 古代の井戸 110 は井戸枠に曲物及び瓦を使用しています。ただ曲物は残りが悪く、わずかしか残っていませんでした。瓦も完形のものは無く、不揃いの破片を曲物の周りに敷き詰めています。井戸枠として使用されていたと思われる瓦片は井戸の周囲からも出土しており、井戸が放棄されたころには、破損していたと考えられます。井戸枠に使用された瓦は大半が桶巻作りで製作されています。そのうち1点には「神亀五□」と刻まれており、奈良時代の神亀五年、西暦 728 年に比定されます。その他に遺物は土師器、須恵器が出土しており、須恵器は概ね8世紀から9世紀にかけてと時期幅があることから、井戸は8世紀から9世紀にかけて機能していたものと考えられます。

井戸110

図6 井戸110(北から)

 下層の黒色土からは古墳時代初頭から前期にかけての土器が多く出土しました。これらの土器は他の調査区と同じく当時の人々が廃棄したものと考えられます。また土器の特徴を見ると、3区の西側と東側で若干の時期差があります。

3区下層土器

図7 3区下層土器出土状況(北から)

4区 下層で古墳時代初頭の土坑、溝、上層で古代以降の井戸が見つかりました。上層で遺構はほとんど見つからず、近世のかく乱を確認しており、中世以降の開発の影響を受けていると考えられます。

4区全景

図8 4区全景(北西から)

 下層の溝は北西から南東の向きで揃って出土していることから、耕作溝である可能性があります。一方で溝が掘られた黒色土からは古墳時代初頭から前期にかけての土器が出土しています。これらの土器も他の調査区と同じく廃棄されたものと考えられます。

4区下層溝

図9 溝出土状況(南東から)

4区下層土器

図10 4区下層土器出土状況(北から)

5区 遺構はピット、溝が見つかりました。その他に近世のかく乱を多く確認しており、中世以降の開発の影響を受けていると考えられます。

 溝 140 からは須恵器、韓式系土器、木製品が出土しました。木製品は板状のもののほか、さしば状のものも出土しています。これらの木製品は被熱の痕跡が認められました。韓式系土器は平底の鉢が出土しており、体部に鳥足文タタキを施す破片も見つかっています。時期は須恵器から5世紀前半と考えられます。

溝140遺物

図11 溝140遺物出土状況(南から)

6区 遺構は溝が見つかりました。その他に近世のかく乱を確認しており、中世以降の開発の影響を受けていると考えられます。

6区全景

図12 6区全景(南西から)

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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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