加治・神前・畠中(かじ・こうざき・はたけなか)遺跡現地公開資料

更新日:2017年3月31日

はじめに

 加治・神前・畠中遺跡(かじ・こうざき・はたけなか)は、貝塚市の北西部に所在します。

 これまでに実施された発掘調査によって、古くは縄文時代から中世までの遺構や遺物が数多く発見されています。

 今回、大阪府立貝塚高等学校の建て替え工事に伴って試掘調査を実施したところ、奈良時代(8世紀頃)の土器や遺構が確認され、遺跡の範囲が拡大されることになりました。

 発掘調査は、大阪府教育委員会文化財保護課が昨年11月より実施しています。調査は2回に分けて行い、北東部分の調査はすでに終了し、現在は南西部分を実施しています。 

調査成果

 調査地は、旧校舎のコンクリート基礎などで遺構面が壊れている部分もありますが、奈良時代の建物跡を5棟、井戸、溝、土坑(どこう)などの遺構を発見し、この地点が奈良時代の集落の一端であったことがわかりました。

 検出した建物跡は、すべて掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)とよばれるもので、地面に柱穴を掘って柱を立てる建物です。

 建物跡1は、2間×2間の平面プランが正方形に近い建物で他の建物に比べると柱穴がやや小さめです。

 建物跡2と3は、調査地の外に広がるので正確な規模はわかりません。

 建物4は、2間×3間の東西方向に長い長方形の平面プランの建物です。

 建物5は、2間×4間以上の南北方向に長い長方形の平面プランの建物で、東側に庇がついています。今回検出した建物跡の中では、最も大型の建物と考えられます。

 出土した遺物は、サヌカイトの剥片(はくへん)、奈良時代の須恵器の杯(つき)、杯蓋(つきふた)、高杯(たかつき)、甕(かめ)など、土師器の杯(つき)、高杯(たかつき)、甕(かめ)、中世の瓦器椀(がきわん)などがあります。

 特に、調査地北東端の地形が少し低くなった所では、大量の奈良時代の須恵器や土師器が出土しました。また、井戸からは墨で文字を書いた須恵器の杯(つき)も出土しました。

 まとめ

 今回の調査では奈良時代の建物跡や溝を確認しました。以前、貝塚高等学校の南約400メートルにある市役所周辺で、貝塚市教育委員会が調査を実施した際にも奈良時代の建物跡や溝が発見されています。

 今回の調査で奈良時代の集落域が広範囲におよんでいることを確認することができました。このあたりは、奈良時代には和泉国日根郡近木郷(いずみのくにひねぐんこぎごう)とよばれていました。今後、さらに周辺の発掘調査が実施されて近木郷(こぎごう)の実態がより明らかになることを期待します。

【図】調査地の位置図

調査地位置図

【図】明治時代の地図に貝塚高校の位置を入れた図 かじむら、こうざきむら、はたけなかむらの名前がきさいされています

仮製図。明治17年から22年にかけて、旧陸軍陸地測量部が作成した地形図。
加治・神前・畠中遺跡名の由来となった神前村(こうざきむら)、加治村(かじむら)、畠中村(はたけなかむら)がみえる。
高校の前の道は、古くから存在したことがわかります。

 【写真と図】発見された遺構の写真と遺構全体図

現地公開資料はこちら [PDFファイル/2.75MB]

このページの作成所属
教育庁 文化財保護課 保存管理グループ

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