大阪の歴史

更新日:2019年3月26日

 大阪の地は遠く1万年以上も前から人類が住み、生活していたことが明らかになっています。

 5世紀ごろには、朝鮮半島などからもたらされた大陸の文化が広まり、大阪が日本の政治・文化の中心となりました。

 7世紀には、日本最初の中国の都にならった都城が大阪に置かれました。その後、都は近隣の奈良や京都に移りましたが、文化・通商の玄関口としての役割は変わることなく繁栄を続けました。

 12世紀の終わり以降、政権が武士の手に渡り戦乱の世となりましたが、堺は中世のイタリアに見られるような自由都市として発展しました。さらに、16世紀の終わりに、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、大坂(当時は「大阪」でなく「大坂」と書かれていました。)を本拠地と定め、巨大華麗な大坂城を築城、日本の政治・経済の中心地となりました。

 17世紀には政治の中心は当時江戸と呼ばれていた東京に移りましたが、大坂は「天下の台所」、つまり全国の経済や物流をとりしきる所として重要な役割を果たしました。この時代に、大坂では広く町民を中心とした文化が成熟し、さらに、懐徳堂や適塾といった官制の学問にとらわれない私塾による学問も根を降ろしました。このようにして、開放的な気風や旺盛な企業家精神が育ち、やがて近代の大都市となる豊かな地盤がつくられました。

 その後、19世紀には、明治維新と近代国家成立に向けての混乱により大阪商人は非常な打撃を受けましたが、その低迷から脱出、工業都市として発展を遂げ、近代都市への脱皮を図りました。第二次世界大戦による空襲の大被害からも立ち上がった大阪は、日本を代表する商業の都として、流通に、貿易に、工業に大きな役割を果たしてきました。
 そして今、大阪は内外の人・物・情報が交流する世界都市へと大きく飛躍する時代を迎えています。

西 暦で き ご と
前25000年ごろ国府型ナイフ形石器の使用がみられる
前4500年ごろ現在の河内平野、内湾となる
前2世紀ごろ銅鐸など青銅器が使用される
前1世紀ごろ池上曽根に巨大な掘立柱建物が築造される
4世紀中ごろ淀川・大和川水系の丘陵上に古墳が築かれる
4世紀後半から百舌鳥・古市古墳群の築造はじまる
593年聖徳太子、四天王寺を建立
645年孝徳天皇、都を難波長柄豊碕宮に移す
683年天武天皇、複都の詔により難波宮は陪都となる
726年聖武天皇、難波宮再建に着手
754年唐僧鑑真、難波に至る
1332年楠木正成が千早城で鎌倉幕府軍に対し奮闘
1496年蓮如が石山御坊創建、1532年石山本願寺となる
1583年豊臣秀吉が大坂城築城を開始。
1585年秀吉が関白に。
1615年大坂夏の陣。豊臣氏ほろぶ
1629年徳川幕府が大坂城修築完成
1700年ごろ「天下の台所」として栄える
1704年大和川付替工事完了
1724年町人の学問所・懐徳堂が開かれる
1805年植村文楽軒が人形浄瑠璃興行を開始
1830年山片蟠桃、『夢ノ代』完成
1837年大塩平八郎の乱
1838年緒方洪庵が適塾を開く
1868年明治維新、太政官布告により大阪府が設置される
1871年泉布観建立
1874年大阪府の新庁舎、江之子島に竣工
1903年第5回内国勧業博覧会開催
1926年大阪府庁舎、現在地に竣工
1931年大阪城天守閣の再建 。綿業会館竣工
1934年室戸台風。府内に大被害
1937年御堂筋開通
1945年大阪市大空襲。戦後初の府議会開会
1961年千里ニュータウン、建設はじまる
1964年東海道新幹線(東京−新大阪)開通
1970年日本万国博覧会開催
1990年

国際花と緑の博覧会開催

大阪モノレール一部開業

1994年関西国際空港開港
1995年

阪神・淡路大震災。府内に被害

APEC大阪会議開催

1997年なみはや国体開催、ふれ愛ぴっく大阪開催
2001年第14回世界観光機関(WTO)総会開催
2002年第8回国際エネルギー・フォーラム開催
2004年国際文化公園都市「彩都」一部まちびらき


銅鐸(羽曳野市)
 
今から約2000年前に儀式で使われた青銅製の鐘。時代が下るにつれ、実用から離れて巨大化するなど、シンボル的なものとなった。

池上曽根遺跡 (泉大津市・和泉市)
 
弥生時代の大規模遺跡。遺跡のほぼ中央部に巨大な掘立柱建物跡が発掘され、その調査成果をもとに、建物が復元された。

 
 
池上曽根遺跡
 
 

 仁徳天皇陵

百舌鳥・古市古墳群(外部サイト)(堺市・羽曳野市・藤井寺市)
 
この古墳群では、4世紀後半から6世紀前半にかけて200基を超える古墳が築造された

修羅
 
1978年藤井寺三ツ塚古墳の周濠から発掘されたY字形の木製そり「修羅」で、長さは8.8メートル。5世紀から6世紀のものと推定されている。( 写真提供:大阪府教育委員会)

 

 

長原高廻り2号墳船形埴輪

古墳時代、大阪は政治・経済の中心だった。大陸との間に横たわる大海原を行き交い、技術や文化を運んだのはこんな船だったのか。5世紀ごろのものと推定されている。


四天王寺(大阪市)
 
593年聖徳太子が建立した、わが国最古の官寺といわれている。国宝、重要文化財など寺宝も多く、府民にも親しまれているお寺。(写真提供:(公財)大阪観光局) 
 

四天王寺

大阪城

大坂城(大阪市)

天正11年(1583)秀吉によって着工された大坂城。天守閣は広壮な五層からなり、秀吉のイメージした大都市のシンボルにふさわしい壮麗さを放つ。そして江戸時代初期に徳川幕府によって、また昭和6年、市民の手によって再建された天守閣は、その風格からもやはり大阪のシンボルと言える。
(写真提供:(公財)大阪観光局)

黄金の日々 堺

15世紀半ば遣明船の発着港となったことを機に国際貿易港として、戦国期、大いに栄えた。町は環濠で自衛され、豪商たちによる自治が確立されていた。また日本文化の礎のひとつともいえる茶の湯はこの地で大成された。(大阪城天守閣蔵)

 
 

 
 

「天下の台所」のにぎわい

江戸時代、「天下の台所」とよばれた大坂は全国から物資が集散する土地であった。水運の便がよい土佐堀川、江戸堀川沿いには大名の蔵屋敷が立ち並んだ。また元禄期に入ると堂島米市場・天満青物市場・雑喉場魚市場は大坂三大市場といわれ一層繁盛した。物品の交流だけでなく、商いを通じて全国の情報センター的機能も果たした。(大阪城天守閣蔵)

適塾(大阪市)

蘭学者緒方洪庵の私塾。大村益次郎、橋本左内、福沢諭吉…近代日本の礎を築いた多くの先覚者を輩出した。

 

 

泉布観(大阪市)

イギリスの建築家によって1871年に建てられた日本最古の西洋建築物。造幣局の迎賓館として使用されていた。

綿業会館(大阪市)

明治維新にともなう混乱で一時大阪の経済は低迷したが、明治中期、紡績業の成功で全国一の紡績都市となり「東洋のマンチェスター」とよばれた。綿業会館は昭和6年の竣工で、大阪の近代化を象徴するような、豪華でかつ繊細な意匠がほどこされている。(写真提供:(公財)大阪観光局)

 綿業会館

 70年大阪万博

日本万国博覧会(吹田市)

1970年に「人類の進歩と調和」をテーマに、わが国で、またアジアで初めて開催された国際博。約330万平方メートルの敷地に116のパビリオンが並び、入場者約6422万人を記録した。

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府民文化部 府政情報室広報広聴課 広報グループ

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