おおさか人権情報誌そうぞうNo.42 インタビュー「ハラスメント」

更新日:2018年6月4日

ハラスメントの背景にある力関係を認識し、 社会と個人の環境をよりよく整えていきたい

牟田 和恵(むた かずえ)さん(大阪大学大学院人間科学研究科教授)

牟田さん

 性的嫌がらせである「セクハラ(セクシュアルハラスメント)」や、仕事上の関係を利用した嫌がらせである「パワハラ(パワーハラスメント)」のほか、大学等で教員が学生に対して行う嫌がらせである「アカハラ(アカデミックハラスメント)」など、様々なハラスメントが社会問題化しています。

 現在においても、国内外の著名人が過去に受けたセクハラ・パワハラ被害を告白したり、セクハラ・パワハラにまつわる様々な事件が連日報道されるなど、ハラスメントによる被害がおさまる気配はありません。

 ハラスメントの背景にあるものは何なのか、どうすればハラスメントのない社会をつくることができるのか。大阪大学大学院人間科学研究科教授の牟田和恵さんにお話をお伺いしました。

ハラスメントの背景には力関係が存在する

 ハラスメントとは、その人の尊厳を傷つける人権侵害行為であり、相手を不快にさせたり傷つけたりすることにもなります。また、それは心の問題であるだけでなく、被害者の生活が脅かされることも往々にしてあります。様々なハラスメントの背景には、男性と女性、上司と部下、教員と学生といった力関係のあることがほとんどです。

 セクハラやパワハラなど、ハラスメントに関する認知度は高まってきましたが、一方で反発も生まれています。「人権、人権とうるさい」「被害を受けたのは自己責任」「被害者ぶるな」といった意見や誹謗中傷はしばしば見受けられます。そこには「自分も我慢しているのだから、おまえもガタガタ言うな」という感情があるように思えてなりません。公務員に対しても「待遇が良すぎる」といった攻撃があります。こうした人権の「我慢しあい」「つぶしあい」は、人権をさらに()め、自らを苦しめることにつながっていくでしょう。

 特に性に関わる問題は、反発する空気が根強くあります。たとえば痴漢に声をあげようとすると、人権についての感覚をきちんともっておられるように思われる人であっても、「冤罪もありますから」と即座に反論することがあります。それはまるで被害者が声をあげることを押しとどめるかのようです。もしかしたら「自分も電車内でうっかり手が当たったりした時、痴漢扱いされるかもしれない」と不安に思われているのかもしれません。しかしそれはまったくリアリティのない不安です。痴漢はもっと悪質で、満員電車内で偶然に触れるのとはまったく違います。「偶然に触れて冤罪が生まれている」というのは、根拠薄弱なデマです。多くの女性は、自分より体が大きく力も強い男性に対して日常的に緊張や不安を感じています。男性も、たとえばエレベーターで、自分よりはるかに体格が良くいかつい男性と二人きりになったら、と想像してみると、なんとなく不安になる気持ちがわかるのではないでしょうか。そして実際、驚くほど多くの女性が痴漢など性被害を受けた経験があるのです。リアリティのアンバランスが被害に対する共通認識をもちにくくさせているといえます。

 

声をあげにくい環境が被害者を追い詰める

 リアリティのなさといえば、啓発する際の表現にも感じます。セクハラや痴漢防止のポスターや冊子には、好色そうな顔をした中高年の男性が、嫌がる女性に手を伸ばすといったイラストや漫画が使われることが多いですよね。それを見た人は、「自分はこんなことはしていない」と思うでしょう。自分が「お疲れさん」と女性の部下の肩を揉んだら、部下は「どうも〜」と笑っている。「相手も喜んでるし、自分はうまくコミュニケーションをとっている。これがセクハラであるはずがない」と思うのも無理はありません。これまで多く使われてきたイラストや漫画は、セクハラの本質を表現できていないのです。

 本当は、肩を揉むという行為自体に力関係が表れています。上司に「お疲れさん」と肩を揉んだりしませんよね。労う(ねぎらう)つもりでも、否応なく体に触れられるのは不快なものです。しかし相手が自分より上の立場であれば、断りにくい。実際に「不快だ」「やめてほしい」と伝えれば、態度が豹変(ひょうへん)して無視や非難をされることもあります。周囲に相談すると「女として見られてよかったじゃない」「被害者意識が強過ぎる」などと揶揄(やゆ)されたり批判されたりすることも珍しくありません。これがセクハラ、ハラスメントの本質です。職場で起こるハラスメントであれば、行為そのものに傷つくと同時に、働く権利が脅かされることになります。深刻な人権侵害です。

 けれど上の立場にいる人は、「やめてください」と言われた時、「気づかずに申し訳なかった」と思うよりは、ムッとする人のほうが多いのではないでしょうか。それは相手を軽く見ている、自分より「下」だと思っているということ。「気を遣ってやっているのに」「生意気な」という感情があるのでしょう。建前では対等、けれど内心では自分より下だと思っている人たちが権利を主張するのをとても嫌うわけです。ハラスメントに限らず、権利を主張するマイノリティ(少数者)への差別的な攻撃の背景には、こうした発想もあるのではないでしょうか。

 

法や制度の整備とともに被害者を孤立させない環境を

 では、ハラスメントのない場をつくるには、どうすればよいのでしょうか。当事者が声をあげるのはもちろん重要ですが、そのためには声をあげやすい環境が必要です。最近、ハリウッドの女優さんたちが過去に受けた性被害を次々と告発して話題になりました。日本でも女性たちが声をあげ始めました。社会で活躍する女性たちが堂々と告発していく姿は、ひとりで被害を抱え込んでいる人たちを励ますに違いありません。同時に、非難や中傷などの二次被害を起こさないために、当事者でない人たちも人権侵害に対して「許さない」という姿勢を示すのが大事です。傍観や中立は強い立場の側に味方するのと同じだと思います。

 ハラスメントの現場を見た人には声をかけてほしいです。「○○さん、それはセクハラですよ」といった声かけに、被害者は「わかってくれる人がいる」と感じるでしょう。逆に「みんな見ているのに誰も声をかけてくれない」と思えば、孤立感を抱き、沈黙してしまいます。ハラスメントをする人が悪いのは確かですが、見て見ぬふりをするのもハラスメントを容認し、被害者に沈黙を強いることだと知ってください。また、被害者をサポートすることは、自分自身が今抱えて我慢している、あるいは将来的に抱えることになるかもしれない問題の解決にもつながることにぜひ気づいてほしいです。

 社会の課題としては、まず法や制度を整え、それを十分に機能させることです。かつてに比べると改善された面はありますが、性被害を受けた人への警察の対応にはまだまだ問題がありますし、性暴力に関わる裁判では、最高裁も含め、不合理な判決が今も多く出されています。また、ハラスメントの被害を受けた人に対しては、性被害そのもの以外にも経済的な困難や精神的な後遺症など、さまざまな支援が必要であることはあまり知られていません。今、性被害においてはひとつの窓口で包括的な支援ができるワンストップセンターの取組が始まっています。この取組を今後充実させ、これをモデルに、他のハラスメント被害もワンストップセンターのようなサポートができればいいと思います。

 上の立場にある人には、自分の「力」を自覚してほしいですね。多くのハラスメントは故意や悪意からというより、無自覚から生じています。自分が「たいした力はない」と思っていても、下の立場にいる人から見れば「自分の立場を左右できる力をもっている存在」なのです。そのことをしっかり認識できれば、ふるまいも変わってくるのではないでしょうか。

 ハラスメントに対する意識や取組は、二歩進んでは一歩下がるようなスピードです。けれど進んでいるのは間違いなく、私は希望をもっています。

このページの作成所属
府民文化部 人権局人権企画課 教育・啓発グループ

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