第40回人権啓発詩・読書感想文入選作品 読書感想文の部門【中学校(中学部)の部】 P.54

更新日:2022年3月31日

「教室の悪魔」を読んで                                  交野市立第四中学校 2年 宮崎 初音

 人権についての作文が宿題で出された時、真っ先に思い浮かんだのがいじめだった。いじめは良くない。誰もがそう思っているはずなのに、なくならないのはなぜなのだろう。
 私が小学生の時は、男女でも仲が良く、ケンカも少なかった。多少クラスでの対立があったが、逆にそれがクラス内での団結力を高めていた。いじめはない、と今まで思ってきたけれど、実際どうだったのかはわからない。誰もが被害者になりうるし、知らぬ間に加害者になっていることもある。この本を読んで、そのことをひしひしと感じた。
 正直に白状すると、私はこの本を読むまで、いじめられる側にも少しは原因があるのではと思っていた。しかしそれは本当に何もわかっていなかったのだと知り、とても恥ずかしい。筆者はこう述べている。
「(前略)いじめられる理由は、いじめが進行する中で次々に作られてゆく。いじめ被害者はいじめられることによって、いじめに値する存在にさせられてゆく。」
「恐ろしいのは、被害者がいじめられる理由は加害者たちによって作られたものにもかかわらず、作り出した加害者たちが、自分達が作ったフィクションだということを忘れてしまうということである。(中略)だから加害者達は本心から言う。(中略)何の罪悪感もなく、ただ事実を告げているという感覚で。」
 原因を作っているなど思いもしなかったから、愕然とした。私が知っていたいじめは、随分前に使い古された手法だったと知り、考えを根本から崩された。筆者はこの本の中で、繰り返し「いじめられる側に原因などない」と断言している。だから誰でも被害者になる可能性があるのだと。何もしていないのに突然みんなからいじめられるようになったら、私は耐えられない。原因があるのなら直すことができるが、それもないのでは、どうすることもできない。いじめの被害者は本当に逃げ場がなかったのだと思うと、胸が潰れるようだった。
 クラス全員が加害者となってしまういじめを、筆者は疫病に例えている。
「いじめは心の疫病である。(中略)ダメージを受けないためには感染しなくてはならない。だから子ども達は、ダメージを受けないために、被害者にならないために、ウイルスに感染して加害者となってゆくのだ。」
 今市井では、コロナウイルスが猛威を奮っている。感染を抑えるため、人との接触を避けるよう喚起されている。私はいじめという疫病も同じように、感染してもダメージを受けると思うのだ。いくら正当化したとしても、日が経って自分の誤ちに気がついた時、並の後悔ではすまないはずだ。私にも覚えがある。ひどいことをしたと自覚できたものは特に、何年後になっても忘れることができない。
 いじめにメリットなど、ない。それなのにいじめがなくならないのは、一つ始まると終わりにくいからだ。誰もが己の保身に回り、被害者の痛みを理解しようとしないからだ。私はこの本を読んで、授業やマスコミの報道での「いじめ」と現実の「いじめ」のギャップを痛切に感じた。いじめによって自殺に追いこまれた子ども達を哀れむ人は大勢いるだろう。しかしその内いじめの実態を知る人は、何人いるのか。いじめを無くすには、全ての大人が本当のいじめを知る必要がある。全ての人々が、全ての子ども達をいじめから守るために、協力すること。その大切さを、改めて胸に刻まれた。
 小学生の頃、本当にいじめがなかったのかは、わからない。自分に覚えがなくても加害者だったかもしれない。だが、わからないから考えなくても良いという訳では決してないということを、今回思い知らされた。
 筆者は、いじめの解決には大人の干渉が不可欠であることを述べている。かと言って、私達が何もしないでいいはずがない。
 たった一歩、されど一歩である。この本を読んだことで私は、教室に巣食う悪魔を滅ぼすのに、最も有効な一手を打てたと思っている。

「教室の悪魔」 
著 山脇 由貴子
ポプラ社

 

このページの作成所属
府民文化部 人権局人権企画課 教育・啓発グループ

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