女の子を学校に通わせるなんて無駄だと、大勢の人が信じている国、パキスタン。マララは、そのパキスタンに生まれ育ちました。兄弟げんかもするし、本を読むことや、勉強をすることが大好きな、ごく普通の女の子だというのが、最初の印象でした。
パキスタンでは、女の子だからという理由だけで職業が限定されたり、男の人の付き添いがなければ買い物など家から出ることさえ許されないのです。また、マララの村の子の多くが学校に行っていなかったり、マララのお母さんも字を読めませんでした。
そんな中、マララのお父さんは学校を経営し、マララに「自由に向かって進みなさい。」と、勉強することや、やりたいことなどを応援し、愛情いっぱいに育ててくれていました。
パキスタンで地震が起こった時、人々が傷ついていた心に、タリバンと繋がりのあるファズルッラーという人が圧力をかけてきました。最近、テレビでタリバンがアフガニスタンの州都を制圧したというニュースをよく耳にします。タリバンの勢力は拡大していく一方のようです。
そして、マララの身の回りでは、タリバンが爆弾で学校を破壊することがよくありました。タリバンは、女子が学校で教育を受けることはイスラム教に反していて、パキスタンの人達も、大人になったら女性は家事をするだけだから、学校に行かなくていいと思っていました。また、マララの身に危険が迫った時に、教科書を持って避難しようとすると、置いて行きなさいと言われました。タリバンのせいで、自分が頑張ってきたことを取り上げられる、私はそんな辛い話はないと思いました。今まで私は、当たり前のように学校に行って勉強してきましたが、勉強したくてもできない子がたくさんいるのだと知って、悲しくなりました。どんな人であれ、女の子であれ、みんな平等に教育を受ける権利があると私は思います。そして、もし自分が逃げなければならない状況になった時に、多分教科書など持っていかないだろうと思います。それだけマララは、勉強が好きだったのだと思いました。また、なぜ女性が将来、家事をすると決めつけるのでしょうか。別に男性が家事をしていいし、女性も自由に働く権利があると思います。私は、「女子は、教育を受けずに家にいればいい」という、タリバンの言い方にも、ものすごい怒りを覚えました。
マララとマララのお父さんは女の子に教育の権利があることを主張するために、スピーチをしたりテレビに出たりしていました。もちろんそれらの活動は二人にとって危険なことでしたが、諦めずに一生懸命訴えました。そしてマララのお母さんもそんな二人を応援しました。
しかしこの後最悪な事態が起こってしまいました。スクールバスに乗っていたマララがタリバンの男に銃で撃たれたのです。何とかイギリスの病院で一命をとりとめましたが、マララの顔の左側は動かず、耳から出血が止まりませんでした。銃弾はマララの脳の近くをかすめ、マララの体の中に残っていました。一度は死のふちをさまよいましたが、世界中からの励ましの声でマララは少しずつ元気になっていきました。正しいことを正しいと主張できない状況に私は疑問を抱きました。
私はこの本を読んで、女の子は教育を受けなくていいと主張している国があることや、勇気を出して権利はあると訴えている人がいること、そして間違ったことをしていないのに罰を与えられることを知りました。私自身もマララのような勇気ある行動はできないかもしれないけれど、おかしいことをおかしいと言える世の中を作るために何か出来るのではないかと考えました。例えば、パキスタンやアフガニスタンで起こっている出来事を自分のことのように身近に感じて考えることや、知ってもらうこと。そして、私たちと同じように普通に教育が受けられたり、すべての人々が人間としての基本的な人権を尊重される世の中になるように、今の私の将来の夢である外交官になってこのような問題に取り組んでいきたいです。
「マララ」
著 マララ・ユスフザイ/
パトリシア・マコーミック
訳 道傳 愛子
岩崎書店
このページの作成所属
府民文化部 人権局人権企画課 教育・啓発グループ
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