同和対策審議会答申(昭和40年8月) 第2部第1章

更新日:2023年6月21日


 

第2部 同和対策の経過

1.部落改善と同和対策
 明治4年に解放令がだされたことは、同和問題の画期的なでき事であった。しかし実質的な解放を保障する行政施策が行われなかった結果、その後しばらくして、みずからの努力で同和地区を改善しようとする自主的な運動が、同和地区住民のあいだから起こったことは注目されてよい。
 明治維新につづいておこった自由民権運動に刺激され、社会の最底辺に抑圧されていた同和地区住民が自主的運動に走ったことは当然である。ルソーの民主主義思想をはじめてわが国に移入した中江兆民とその門下の前田三遊は、しきりに同和問題を論評して同和地区住民の自覚を喚起することに努めた。その影響をうけた青年が中心となり、岡山県の一角に「備作平民会」という改善運動団体が生まれたのは、明治35年6月で、これが同和地区改善運動の先駆となった。
 備作平民会は、「先ず同族間の積弊を廊清し、しかる後外に対して鬱屈を伸べんとする」方針のもとに、風教改善、道義の鼓吹、殖産教育の奨励、人材の養成などを積極的におこない、自主独立の基礎を固め、しかるのち社会に向かって反省を促そうとするもので、内部改善主義の典型ともいうべき主張をかかげていた。
 ついで、明治36年7月大阪市で「大日本同胞融和会」が結成された。この創立総会には東京、愛知、三重、京都、大阪、奈良、和歌山、兵庫,岡山などの各府県をはじめ、九州、四国の各地から300人にのぼる地区代表が参加し、全国規模の集会となった。この総会で決定された活動方針も備作平民会のそれと基本的には変りなく、道徳の修養、風俗の矯正、教育の奨励、衛生の注意、人材の養成、勤倹貯蓄、殖産興業などをかかげている。いずれにしても大日本同胞融和会の結成は改善運動が全国的に発展したという意味で大きな意義がみとめられる。
 日露戦争後、国の財政は窮迫し、国民の生活は物価騰貴のため困難を加えた。国力の回復と国民生活の安定が政府の緊要な課題となった。内務省は地方改善事業に力を注ぎ、模範町村の設定を奨励指導した。ところが、関西地方の府県知事は、同和地区があまりにも劣悪な状態にあるため直ちに模範町村などをつくることの困難なことを訴えた。その後政府は、明治40年に全国の同和地区調査を行ない、奨励金を交付して「模範部落」や改善功労者を表彰することとした。かくて大阪、和歌山、兵庫、奈良、京都、三重などの各府県で、地方改良事業の一環として部落改善事業がとりあげられるにいたったのである。
 ついで大正元年11月7から8の両日、内務省主催の全国細民部落協議会が開かれ、教育、風俗、職業、住居、衛生、医療、納税、貯蓄、金融、社交、移住、宗教などあらゆる問題が論議された。その席で当時の地方局長水野錬太郎は「部落を完全に改良して国家のため有為の民たらしめ、もって国家を富強にしたい」そのためには、「地方の篤志家や有力者と協力し、官民合同で、精神と物質の両面から部落改良に努めねばならない」と、政府の見解を述べている。
 こういう部落改良方策が具体的にはどのように行なわれたかを知るため、三重県の例をとってみよう。元内務省警保局長であった三重県知事有松英義は、県の慈恵救済員竹葉寅一郎というキリスト者を実際指導にあたらせ、警察署長や郡町村長が協力して各地区毎に「自営社」なる団体を作らせ「愛国心を快殖シ人道ヲ啓発シ清潔法ヲ励行シ教育ノ普及ヲ計ル」改善運動を起し、生活改善、風俗矯正につとめた。このような改善運動を推進する自営社の規約の冒頭に「至仁ナル聖世ニ生レタル御蔭ナレバコソ吾等ハ今日ノ御恵ニ遭フコトヲ得タルヲ有難ク思ヒテ毎朝三拝スル事」と規定している。当時の部落解放施策の慈恵的な性格を端的にあらわしたものといえよう。
 大正時代における民権運動を代表する「帝国公道会」は、大正3年6月大江卓の発起で創立された。その趣意書に「同胞中今日猶ほ頑めい固ろう、日常相互の交際に於て聖旨の在る所を忘失し、人道上の大道を無視して恬然恥ずべきを知らざる者尠しとせず、是れ実に我社会の一部に未だ全く蛮国を脱却せざる者あることを表明するものにして、吾人の国家の為めに決して袖手傍観するを得べき所にあらざるなり」と述べているごとく、その意図するところは、社会一般の迷蒙を打破せんとする人道主義の同情融和運動であった。  
 一方、この時期に、同和地区の人びとの自覚に基づく自主的な改善運動が勃興したことに注目しなければならない。すなわち、大正元年8月奈良県に「大和同志会」が結成されたのをはじめ、福岡県に鎮西公明会、広島県に福島町民一致協会、島根県に出雲同志会、岡山県に岡山県同志会が相次いで結成され、部落改善運動が展開された。これらの団体はさきに引例した明治時代の三重県における自営社とは性格を異にし、上からの奨励による官製の団体ではなく、下から同和地区住民の自主的な団体として組織されたのである。前記の細民部落協議会に和歌山県代表として出席した岡本彌が内務大臣平田東助に提出した要望書は、当時の改善運動指揮者たちの見解や主張を代弁している。すなわち、
一、部落特有の職業は成るべく改めしむるよう奨励し、皮革の如き厭ふべき臭気ある職業は人家稠密の場所には禁止すること。また履物直しその他見苦しき職業は取締規則を設けた体裁を改めしむるようの処置を希望す。
一、細民の住屋は採光と煙出しの不備より、眼疾を招くこと多し。また便所の設備概して不完全なり、府県には家屋建築条例を設け一定の猶予期間を与えて漸次改造を命ぜられたし。
一、住居道路溝渠の掃除に就いても、取締規則を制定せられたし。
一、部落の人口は益々増殖し細民は益々増加す。他へ移住策に格別の考慮を払はれたし。
一、部落特有の疾患にトラホームあり、これが根治については格別の施設を願ひたし。
一、部落の弊風は一朝一夕で醸成されたものではないので、単に指導奨励丈では到底改善さるべきとは思はれない。国家としての相当の助成金を支出されるやう、御配慮願ひたし。
一、部落の改善に、部落民の自覚は最も肝要の次第なるも、部落民の自覚を障害して居るものは一般民の差別行為である。以下二三の実例を具陳せん。
(1)官衙公署は勿論、会社工場には部落民を使用されていない。部落民の教育が進まないのは、皆これに原因している。
(2)小学校、中学校は勿論、専門以上の学校に部落民の入学は甚だ困難である。学校内における差別撤廃は部落民の就学心を向上せしむる唯一の方法である。
(3)相当学識を有するものは、努めて官公署に任用されることともなれば、部落の人心を鼓舞激奨し、教育は奨励を待たずして進歩すべきことを信ず。部落改善は、つまり富の向上を図ることである。
一、部落民なるが故に営業上に又農民の小作上に於いて、不利な立場に於かれている実例は少なくない。是等差別的行為の除去に努力されたし。
 以上のごとく、明治、大正時代の部落対策の改良主義的特徴は、同和地区住民の生活実態の劣悪性がわが国の社会経済体制の病理に由来することを理解せず、ただ単に地区住民の主体的条件を改善整備することによって同和問題の解決が実現されるとの認識にあったのである。

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府民文化部 人権局人権擁護課 人権・同和企画グループ

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