池田市柳原遺跡 発掘調査現地公開資料

更新日:2017年3月31日

1.概要

 公開日時:平成231217日土曜日 午後1時から午後3時

 所在地:大阪府池田市城南三丁目 府営池田城南住宅地内

 調査期間:平成2391日から平成24131日(予定)

 調査面積:2025平方メートル

2.柳原遺跡の位置

 柳原遺跡は、府営池田城南住宅建て替えに先立つ試掘調査で新たに発見された遺跡です。今回の調査によって、弥生時代後期(西暦1から2世紀ごろ)の遺跡であることが明らかになりました。

地形分類上、 猪名川左岸の低位段丘(ていいだんきゅう)の端に位置し、近辺の弥生時代遺跡としては、神田北遺跡、鉢塚北(はちづかきた)遺跡などが知られています。さらに猪名川の対岸の川西市加茂遺跡や池田市と豊中市にまたがる宮の前遺跡などは弥生時代中期の遺跡として全国的にも有名です。

【図】池田市の地質分類図

図1 地形分類図(新俢池田市史より転載)

【図】周辺の遺跡地図

図2 猪名川流域の弥生遺跡と柳原遺跡(新俢池田市史より転載)

3.主な遺構

層序と遺構面 調査地には、上から府営住宅建設時の造成土、古代から近代の耕作土が堆積しており、その下の地山(更新世の地層)上に弥生時代後期の遺構が広がっています。

土坑(どこう)の広がり 調査区全体で150基以上の土坑(どこう)(地面を掘り込んだ穴)が検出されました。調査区西半にかけて密集しますが、東半は南北の溝を境にして遺構がありません。

土坑(どこう)の特徴 土坑の平面形は不整形で、断面を見ると下半が横に広がる袋状を呈するものが多くあります(図4)。深さはいずれも約0.5から1.0メートルを測り、礫がちな地山(図4のC)に到達したところが底となっています。

また埋土の状況を見ると、粘土ブロックを含む下半と流入土、古土壌からなる上半に分けることができます。上半と下半の境目には薄い粘土層が堆積するものもあり、土坑(どこう)は下半まで埋め戻された(4層)後に放置され、滞水(3層)する期間を経た後、周辺からの流入土(2層)が堆積し、最終的に残ったくぼみに土壌(1層)が発達したものと思われます。

土坑(どこう)の性格 掘り込まれた後、埋め戻されることなく放置されていること、礫がちな粘土の上の精良な粘土(B)を掘削していることなどから、これらの土坑は地山の粘土を得るために掘り込まれた粘土採掘坑と考えられます。 

【図】発見された遺構配置図

図3 遺構配置図

【写真と図】どこうの断面図および写真

図4 粘土採掘坑断面図

4.おわりに―今後の課題―

以上のとおり、今回の調査によって柳原遺跡において弥生時代後期、たくさんの粘土が採掘されたことが明らかになりました。北摂(ほくせつ)地域の弥生時代遺跡はまだ調査が進んでいないものが多い中で、これらの点は重要な調査成果です。

それでは採掘された粘土は何に利用されたのでしょうか?現状でもっとも可能性が高いと考えているのが、弥生土器の原料として用いられたという案です。今後の調査では、土坑(どこう)内部から出土した土器と地山粘土との鉱物組成などの比較を通じてこの点を明らかにしていきます。

また今回の調査では、建物や井戸などといった人々の直接居住した痕跡は得られませんでした。どの集落の人が柳原遺跡で粘土を採掘したのか?安定した土地であるのになぜ人が住まなかったのか?粘土をとり終わった土坑(どこう)になぜ土器を捨てるのか?などなど、土坑の性格は明らかになっても、さらに疑問がわいてきます。

現地での発掘調査は来年1月末をめどに終了しますが、精密な記録を作り、微地形や周辺の遺跡との比較を行いながら、これらの点をさらに追求していきます。

 遺構写真

 

このページの作成所属
教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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