蔀屋北(しとみやきた)遺跡では、これまでの調査で出土した馬の遺体や馬具(ばぐ)などから『日本書紀』に記される「河内の馬飼(うまかい)」に深く関わる集落であることが判明しました。また多くの大型船材(ふなざい)が出土したことでも知られ、大阪湾からの航路が想定されています。
今回の調査では、2つの調査区から古墳時代中期から後期(5から6世紀)の竪穴住居6棟、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)5棟、大壁建物1棟、井戸などが見つかりました。
特に大壁(おおかべ)建物は朝鮮半島から伝えられた当時最先端工法の建物で、蔀屋北(しとみやきた)遺跡では今回初めての発見です(写真右下のL字状の遺構)。竪穴住居には造りつけのカマドが見られ、カマドの焚口を保護するU字形土製品(どせいひん)も出土しています。掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)の柱穴には礎板(そばん)(柱が沈まないよう柱穴の底に敷かれた板)が多く残り、その中には船材を転用した板も見られます。
ややはなれた別の調査区からは、大量の滑石製小玉(かっせきせいこだま)やミニチュア土器が出土しました。水辺のマツリを想定させます。
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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ
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