蔀屋北(しとみやきた)遺跡(2)

更新日:2017年3月29日

 【写真】しとみやきた遺跡から発見された竪穴住居、大壁建物

所在地
四條畷市蔀屋(しとみや)・砂
種類
     集落跡
時代
     弥生時代、古墳時代から中世
調査期間
     平成19年9月から平成22年3月
主な遺構
古墳時代の竪穴住居、掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)、大壁(おおかべ)建物、井戸、土坑(どこう)、溝
主な遺物
初期須恵器、土師器、韓式土器、製塩土器、U字形土製品(どせいひん)、ミニチュア土器、滑石製小玉(かっせきせいこだま)

蔀屋北(しとみやきた)遺跡では、これまでの調査で出土した馬の遺体や馬具(ばぐ)などから『日本書紀』に記される「河内の馬飼(うまかい)」に深く関わる集落であることが判明しました。また多くの大型船材(ふなざい)が出土したことでも知られ、大阪湾からの航路が想定されています。

今回の調査では、2つの調査区から古墳時代中期から後期(5から6世紀)の竪穴住居6棟、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)5棟、大壁建物1棟、井戸などが見つかりました。

特に大壁(おおかべ)建物は朝鮮半島から伝えられた当時最先端工法の建物で、蔀屋北(しとみやきた)遺跡では今回初めての発見です(写真右下のL字状の遺構)。竪穴住居には造りつけのカマドが見られ、カマドの焚口を保護するU字形土製品(どせいひん)も出土しています。掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)の柱穴には礎板(そばん)(柱が沈まないよう柱穴の底に敷かれた板)が多く残り、その中には船材を転用した板も見られます。

ややはなれた別の調査区からは、大量の滑石製小玉(かっせきせいこだま)やミニチュア土器が出土しました。水辺のマツリを想定させます。

このページの作成所属
教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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