河内長野市太井(おおい)遺跡 現地公開資料

更新日:2017年3月31日

1.はじめに

    大阪府教育委員会と河内長野市教育委員会は、府営農村振興総合整備事業「河内長野和泉地区」によるほ場整備(ほじょうせいび)に伴い、平成22年度より合同で発掘調査を実施しています。

   太井(おおい)遺跡は、河内長野市の北東の山間部にあり、石川の支流(しりゅう)である石見川(いしみがわ)沿いにできた谷部に位置しています。石見川(いしみがわ)流域には、真言宗の古刹として著名な観心寺(かんしんじ)があり、当寺の寺領である鳩原(はとはら)、太井(おおい)、小深(こぶか)、石見川(いしみがわ)の各郷(ごう)があった事で知られています。この太井(おおい)遺跡は、石見川(いしみがわ)の上流域にあり、かつて太井郷(おおいごう)があったと推定される場所に立地しています。また、この谷沿いは、大和へ向かう大沢越えの道(現在の国道310号)があり、交通の要衝としても栄えた場所でもあります。

2.太井(おおい)遺跡について

 太井(おおい)遺跡についてはこれまでの発掘調査で、鎌倉時代から室町時代にかけての遺構・遺物が検出されています。昨年度実施した発掘調査では、中世の建物跡、墓などの太井郷に関連するとみられる遺構が検出されました。また。土師質土器、瓦質(がしつ)土器等の日用雑器の他に、中国より輸入されたとみられる青磁、白磁(はくじ)などの磁器も出土しています。さらに、これらに加えて、縄文時代中期から後期の土器も出土しています。

3.調査成果

 今回の調査地点は、昨年度の調査で中世の墓の遺構が検出された調査地点の道路(平成10年度発掘調査)をはさんで反対側にあたり、昨年度同様中世の墓や溝、土壙、柱穴が検出されています。出土土器として瓦器(がき)(椀・皿)、土師器(皿・羽釜(はがま))、東播系須恵質土器(とうばんけいすえしつどき)(鉢・壺(つぼ))等の日常雑器が多く、当時の太井(おおい)の様子をうかがうことができます。

4.まとめ

 河内長野市域では、文献によると、観心寺領(かんしんじりょう)の太井郷(おおいごう)、鳩原郷(はとはらごう)、小深郷(こぶかごう)、石見川郷(いしみがわごう)や、石清水八幡宮の荘園であった甲斐庄山郷(やまごう)など山間部の村落がよく見られ、中世社会において重要な位置にあったことがわかります。

 河内長野市では、三日市遺跡や上原北遺跡など、平地部にある中世集落については、豊富な調査事例があるものの、山間部の中世集落の発掘調査例は極めて少なく、実態はよくわかりませんでした。

 しかし、太井(おおい)遺跡の発掘調査により、建物跡と墓などの遺構や出土遺物の発見によって、これまで明らかにできなかった中世山村の様相の一端を明らかにすることができました

 

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【写真と図面】石をしきならべたちゅうせいのおはか、墓にそなえられた土器 発掘調査全景図

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教育庁 文化財保護課 保存管理グループ

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