河内長野市太井(おおい)遺跡 現地公開資料

更新日:2017年3月31日

はじめに

太井遺跡(おおいいせき)は、河内長野市太井(おおい)に所在する遺跡です。河内長野市の市街地から南東へ約6キロメートル、石見川(いしみがわ)沿いの標高約300メートルの山間部に位置します。この遺跡は、平成10年、農道工事に伴う発掘調査によって発見されました(第1次調査)。平成20年、ほ場整備工事に伴う試掘調査によって、遺跡範囲の拡大が判明し(第2次調査)、平成22・23年、小深地区で、小規模な発掘調査・確認調査が実施されました(第3次・第4次調査)。今回の調査区は、平成10年の調査区の東に接する区域で、調査面積は830平方メートルです。平成23年8月に調査を開始しました。

調査結果

今回、発見された主な遺構は、100基以上の土坑(どこう)や石列などで、時期は中世です。土坑(どこう)は、長さが1.6メートル、1メートル、0.4メートル前後のものなど、3種類(大中小)あります。また、平面形も、円、楕円、長方形など各種あります。土坑(どこう)の片隅に瓦器椀(がきわん)を納めたものや石を敷き並べたもの、石で覆ったものなどがあって、墓(土葬墓(どそうぼ))と推定されます。中には、石敷きの間から火葬された骨が検出されたものもあって、火葬墓(かそうぼ)のあることも判明しました。これらの土坑(どこう)は、今回の調査区全域から検出されましたが、分布状況をよく見てみると、十数基づつ纏まっているようにも見えます。当時の家族単位で墓が作り続けられていた結果なのかも知れません。また、径4メートルの円形土坑や逆L字形に曲がる石列など、用途不明な遺構もありました。

今回、出土した主な遺物は、鎌倉時代の土器(瓦器椀(がきわん)・土師器小皿・土師器羽釜(はがま)・青磁碗など)です。また、珍しいのは、土坑中(どこうちゅう)から出土した鎌倉時代の丸瓦(玉縁式(たまぶちしき))です。この瓦は、遺跡の下流約3キロメートルにある観心寺(かんしんじ)から運んできたものであったのか、あるいは観心寺(かんしんじ)とかかわりのある小寺院が付近に存在した可能性が考えられるからです。そのほかに、縄文時代後期の土器の破片・サヌカイトの破片が少量出土しました。 

まとめ

  • 今から3,700年ほど前の縄文時代後期の遺物が出土したので、近くに集落跡の存在が推定されます。
  • 今から700年ほど前の鎌倉時代の墓地が発見されました。観心寺(かんしんじ)領の荘園に暮らした人々の墓と推定されます。

【写真】石を敷き並べた墓

石を敷き並べたお墓です。

【写真】墓に供えられたがきわん

墓に供えられた瓦器椀です。

【写真】土葬ぼ

土葬墓です。瓦器椀が副葬されています。

【図】墓の分布状況図 十数基づつがまとまっているようにみえます

墓の分布状況です。十数基づつ纏まっているようにも見えます。

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教育庁 文化財保護課 保存管理グループ

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