水越遺跡(みずこしいせき)

更新日:2017年3月30日

所在地:八尾市服部川(はっとりがわ)

種類:集落跡

時代:縄文時代から中世

調査期間:平成28年1月から2月

主な遺構:畦で囲まれた水田跡、溝など

主な遺物:縄文時代晩期の土器、弥生土器、須恵器など 

  

水越遺跡(みずこしいせき)は、高安山(たかやすやま)の西麓の緩やかに斜面する扇状地に所在する遺跡です。早くから縄文土器が出土し、弥生時代の集落や古墳時代の墓、中世の集落の一部がみつかっています。しかし遺跡内には小さい谷がいくつもあり、地点ごとで遺跡のあり方に大きなちがいがあります。 

今回は、幹線下水道の整備事業にともない、工事のための立坑の建設に先立って発掘調査を実施しました。約50平方メートルの狭い調査区でしたが、古墳時代後期と弥生時代の二面の遺構面を見つけることができました。 

調査地点は東から西に向かう谷のなかにあたっており、現在の地表面から約2.5メートルまで調査しましたが、谷を埋める砂やシルトや粘土が堆積していました。 

古墳時代後期の遺構面からは、幅0.2メートル、高さ0.05メートルほどの畦で囲まれた水田の跡がみつかりました。調査区の中には1枚の完全な形の水田があり、この水田の畦から隣接する水田の畦が派生していました。調査区一帯には何枚もの水田が連続して造られていたものと推定されます。土地のわずかな傾斜に合わせて水田面を水平に保つことができるように1枚の水田の規模は小さいものでした。 

弥生時代の遺構面では東から西に流れる太い溝(幅1メートル以上)がみつかりました。谷のなかを流れる水を管理するものと考えられます。 

弥生時代の遺構は縄文時代晩期の遺物包含層(ほうがんそう)を切り込んで掘削されていました。この層からは縄文時代晩期の土器(船橋式、長原式)が出土しました。縄文時代から弥生時代へ移行する時期の貴重な資料です。

【写真】古墳時代後期の水田跡

 ■ 古墳時代後期の水田跡

【写真】弥生時代の溝

■ 弥生時代の溝

 

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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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