加治・神前・畠中遺跡(かじ・こうざき・はたけなか)

更新日:2017年3月30日

所在地:  貝塚市畠中(はたけなか)一丁目

 種類:  集落跡

 時代:  奈良時代

調査期間:  平成25年11月から平成26年2月

 主な遺構:  掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと))、井戸、溝、土坑(どこう)

 主な遺物:  須恵器、土師器

  加治・神前・畠中遺跡(かじ・こうざき・はたけなかいせき)は貝塚市の北西部に所在し、これまでの発掘調査で縄文時代から中世の遺構や遺物が発見されています。

 今回、大阪府立貝塚高等学校の校舎建て替え事業に伴って発掘調査を実施しました。調査地は旧校舎の基礎等で遺構面が壊れている部分もありますが、奈良時代の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)、井戸、溝、土坑(どこう)などを発見しました。建物跡のうち一棟には、東側に庇が付いていました。

 建物跡や溝は、ほぼ東西・南北方位を基準にして造られています。これは現在の地割りとは異なっており、奈良時代には方位を強く意識した地割がこの地でも行われていたことがわかります。      

 遺物は、奈良時代の須恵器、土師器が出土していますが、この他にもサヌカイトの剥片(はくへん)や、瓦器(がき)等が出土しています。井戸の中からは、墨で文字が書かれた須恵器の坏身(つきみ)が出土しています。

 貝塚市教育委員会が、貝塚高等学校の南約400メートルにある市役所周辺で発掘調査を行った際にも同じ様な方向をもった掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)や溝を発見しています。今回の調査で、奈良時代の集落跡がより広範囲に広がっていることが確認することができました。

 この辺りは、奈良時代には和泉国日根郡近木郷(いずみのくにひねぐんこぎごう)と呼ばれており、今回の調査で近木郷の様相の一端を明らかにすることができました。

【写真】発見されたほったてばしらたてものやいど
 ■発見された掘立柱建物跡、井戸や溝

【写真】ぼくしょのある土器
 ■文字が書かれた土器

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教育庁 文化財保護課 保存管理グループ

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