鳩原(はとはら)遺跡現地公開資料

更新日:2017年3月31日

はじめに

 大阪府環境農林水産部の府営農村振興総合整備事業「河内長野和泉地区」に伴い、今年度9月から河内長野市鳩原(はとはら)に位置する鳩原(はとはら)遺跡の発掘調査を実施しています。 

 調査区は1、2、3、4、5区の5ケ所に分散しています。 

調査成果

<1区> 今回の調査では、土器をまとめて埋めた土坑(どこう)や井戸、建物跡などが見つかりました。

 調査区の南西部には、落ち込み部分に瓦がまとまって廃棄されていました。落ち込み部分からは、礎石や礎板(そばん)として使用されたと考えられる瓦が出土しています。礎石と考えられる石は、調査区の壁際でも出土しており、建物が調査区外に続いている可能性があります。

 出土した瓦の中には、観心寺(かんしんじ)の霊宝館(れいほうかん)に展示されている軒丸瓦や軒平瓦と同じ模様のものが含まれていました。このことから、観心寺(かんしんじ)に関係のある建物が建てられていた可能性があります。

 当遺跡の存続年代は、瓦や出土した土器の時期から、平安時代後半から鎌倉時代前半にかけて建物が建てられ、室町時代までには廃絶し埋め戻されたと考えられます。

 また、建物が廃絶したのちには井戸や土器をまとめて埋めた土坑(どこう)が掘られています。

   【写真】調査区の全景(南半)

    調査区全景(南半 北東から)  【写真】土器が埋設されたどこう

 

 

 

 

 

 土器埋設遺構 

 【写真】瓦出土状況

 瓦出土状況           

【写真】落ち込み内石等出土状況 

 落ち込み内石等出土状況                         

【写真】性格不明遺構 

 性格不明遺構(東から)

<2区> 調査区西部に堆積する黒褐色土層から、縄文時代中期の終わり頃(およそ4500年前)から縄文時代晩期にかけての縄文土器や石斧・石鏃などの石器が出土しました。また、竪穴住居をはじめ、柱穴・土坑(どこう)を中心とする様々な遺構も見つかりました。縄文人は、1000年以上にわたって断続的に、この地で生活していたと考えられます。

 【写真】縄文土器出土状況 

        縄文土器出土状況                            

【写真】縄文時代遺構面

       縄文時代遺構面

 <3区> 調査区南部から、縄文人がまつりに用いたとみられる石棒が折れた状態で出土しました。この地点から約6メートル北には、径60センチメートルの範囲に炭化物を多く含む焼土が堆積しており、まわりを石で囲んでいた可能性があります。

【写真】せきぼう出土状況

      石棒 出土状況

 おわりに

 今回の調査によって、石見川(いしみがわ)側の平坦面では、縄文時代に、人々がこの一帯で活動していた様子が推定できます。また、山側では、平安時代から鎌倉時代にかけて、観心寺(かんしんじ)と関係のあるものをはじめとした、瓦ぶきの建物が建てられていたとみられます。

現地公開資料はこちら [PDFファイル/115KB]

このページの作成所属
教育庁 文化財保護課 保存管理グループ

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