府中遺跡(ふちゅういせき)

更新日:2017年3月30日

所在地:和泉市府中町(ふちゅうちょう)

種類:集落跡

時代:弥生・古墳・古代・中世・近世

調査期間:平成28年1月から9月

主な遺構:弥生時代から古墳時代にかけての河川跡、古墳時代の竪穴建物跡(たてあなたてものあと)、平安時代の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)、中世の土坑群(どこうぐん)

主な遺物:弥生土器、土師器、須恵器、黒色土器、瓦など

 (図)府中遺跡調査区位置図

 調査区の位置 

 

  和泉市に所在する府中遺跡は、槇尾川(まきおがわ)右岸の、低地部から信太山丘陵との間に形成された段丘上に立地しており、遺跡内に和泉国府跡(いずみこくふあと)や和泉寺跡(いずみでらあと)の推定地を含む、東西1キロメートル、南北1.2キロメートルの広範囲にわたる遺跡です。

 本府教育委員会では、都市計画道路大阪岸和田南海線の建設に伴い、平成20年度より府中遺跡の発掘調査を継続的に行ってきました。これまでの調査では、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての大量の土器群、和泉寺跡(いずみでらあと)、和泉国府跡(いずみこくふあと)との関連が考えられる氏族名が書かれた奈良時代の文字瓦、中世の多数の建物跡などが発見されています。

 今回の発掘調査地点は、府中遺跡の東端にあたり、平成27年度から平成28年度にかけて約5,000平方メートルを調査しました(右上図)。その主な成果をご紹介します。

【平安時代の建物群】 南側にあるD区とE区では、平安時代(9から10世紀頃)の建物跡などの遺構群(いこうぐん)と多量の遺物が発見されました(写真1、2)。平安時代の建物群は、和泉国府(いずみこくふ)や和泉寺跡(いずみであらと)などと同時代のものであり、注目されます。建物の柱穴には地鎮のために土師器皿を並べたものもみられました(写真3)。

【写真】E区全景 【写真】E区ほったてばしらたてものあと 【写真】柱穴にならべられたはじきさら

写真1 E区全景(南から)                  写真2 E区掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)    写真3 E区 柱穴に並べられた土師器皿

【弥生時代後期から古墳時代初頭の河川跡】 北側にあるB区からC区にかけては、弥生時代後期から古墳時代初め頃(2から3世紀頃)の河川の跡が見つかりました(写真4)。この河川跡からは、土器がまとまって出土しています(写真5、6)。この河川跡はD区、E区でも確認されたほか、これまの調査でも確認されており、また同時代の土器群がみつかっています。この時期に槇尾川に由来する大規模な氾濫が起こったことを示しています。

【写真】BC区河川跡 【写真】河川跡から出土した土器1 【写真】河川跡から出土した土器2

写真4 B・C区の弥生後期から古墳時代初頭の河川跡 写真5 河川跡から出土した土器・1           写真6 河川跡から出土した土器・2

 このほか、B区・C区では、古墳時代中期(5世紀頃)の竪穴建物跡(たてあなたてものあと)(写真7)、奈良時代(8世紀頃)の瓦や土師器・須恵器等の多量の遺物、A区では中世(13から14世紀頃)の土坑群(写真8)、近世(18世紀頃)の区画された耕作地跡等が発見されました。

【写真】古墳時代の竪穴建物 【写真)A区で検出された中世のどこうぐんや近世の耕作溝

写真7 B・C区で検出された古墳時代の竪穴建物跡   写真8 A区で検出された中世の土坑群や近世の耕作溝

このページの作成所属
教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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