大阪産(もん)名品  大阪の食を語る・・・粟おこし・岩おこし

更新日:平成28年9月6日

粟おこし粟おこし・岩おこし

大阪名物「粟おこし」の由来

 江戸時代中期 「大坂は天下の台所」と呼ばれ全国物産の集散地となっていました。米相場が開かれ、米・飴・砂糖が入手しやすい環境下にあった大阪で、「粟おこし」は大阪の名物になっていきました。
 当時は、お米はまだまだ庶民には高価で、「粟おこし」は「粟」や「ハトムギ」から作られていました。大阪人の「より美味しいもの」への創意工夫から、「米」をあえて細かく砕いて「粟」の様にした「米の粟おこし」は、たちまち全国的に評判を呼びました。また「身をおこし、家をおこし、国をおこして、福をおこす」縁起の良いお菓子として、大阪人気質に合って「大阪の名物」になりました。

大阪のおこしの象徴(梅鉢紋の言い伝え)

 梅鉢紋

 奈良時代末期、時の右大臣・菅原道真公が九州の大宰府に左遷される際に、大阪の上町台地で船待ちをしておられた時、村の者が道真公をお慰めしようと、「粟おこし」を作り差し上げたところ、公は大変喜ばれ「梅鉢の紋の小袖」をお礼に渡され、この「紋」を付け遍く広めよと言われました。以来、大阪のおこしにはこの梅鉢の紋が使われるようになりました。
(潮待天神社縁起より)

大阪人のシャレが生んだ「岩おこし」

 江戸時代中期の大阪の街は、運河を作るための水路工事で、岩がゴロゴロ掘り出されていました。
 その様子をシャレで、大坂名物の大坂の「堀おこし」、「岩おこし」と云って、お米をより細かく砕いた、生姜入りの堅いおこしを発売し、大坂の発展を象徴する縁起の良い土産として、「岩おこし」は大ヒットしました。
 江戸時代中期に大坂城の医師・寺島良安が編集した百科事典『和漢三才図会』には、おこしの製法が記録されています。


小林会長

小林 隆太郎

(大阪府粟起工業協同組合理事長)

このページの作成所属
環境農林水産部 流通対策室 産業連携グループ

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