おおさか人権情報誌そうぞうNo.41 インタビュー「差別を許さない、広げない、 そして誰も孤立させないために」

更新日:平成29年12月13日

松村 元樹さん(公益財団法人反差別・人権研究所みえ常務理事兼事務局長)

松村元樹さん顔写真

ネット上の人権侵害との出会いの衝撃

 私がインターネット上の差別と本格的に出会ったのは、平成162004)年でした。現職に就いた直後、前任者が残してくれた書類などを確認していると、ネット上の掲示板のデータが出てきたのです。被差別部落やその出身者に対して、とても陰湿な内容の文章が延々と書かれていて、大きな衝撃を受けました。私自身、人権や差別について学ぶ過程で公衆トイレなどの差別落書きも見ています。しかし、ネット上に書き込まれる差別には圧倒的な暴力性を感じさせられました。そしてこの人権侵害に対して、正面から取り組まねばならないと考えたのです。

 こういった状況に取り組むためにインターネット上の差別へのモニタリングと事例の集積を始めました。さまざまなサイトや掲示板をチェックして、そこに書かれている差別的な内容を記録します。地名を羅列したり、個人情報が書き込まれている場合はサイト管理者やプロバイダーに削除要請をしたうえで三重県に報告しています。

 ただ、削除要請をしても、人権侵犯事件として申し立てても、すんなりと通るわけではありません。むしろ「表現の自由」を盾に、通らないケースのほうが多いほどです。

 一方で、今でいうヘイトスピーチの広まりは想像を超えていました。特に動画サイトとSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が登場すると、ヘイトスピーチに関わる人々のネットワークがつくられ、一気に組織的な活動になったのです。

 私たちの取組は三重県内に限定していますが、だからこそ、相談に来られる人の苦悩がよく見えます。ある人は自身が経営する建築会社について、「部落の業者だ」とネット掲示板に書かれました。会社名は当て字にしているものの、関係者が読めば「あの会社だ」とわかる内容です。削除要請をしたり、警察に相談したりしましたが、結果的に何の対応もされませんでした。何もできなかったことに「悔しい」と何度も言われていたのが今も忘れられません。

 

「情報」として拡散し続ける差別

 よく、「わざわざ見るから辛くなる。見なければいい」「愚かな人がやっていることなんだから、相手にする必要はない」と言う人がいます。一理あるようですが、いったん見てしまうと「また書かれているのでは」と気になってしまいます。ダメージを受け続けることになるのに、確認しないと落ち着かない。そういう心理が働くのです。また、当事者が見なくても、差別的な書き込みはなくならないでしょう。「それは差別です。やめなさい」と働きかけなければ、ますます肥大していくと思われます。「関わるな」というのは、差別の温存を容認することになるのではないでしょうか。

 

 インターネットの急速な普及・発展とともに、自在に使いこなす人の数も飛躍的に増えました。残念ながら、その力を差別の拡散に使う人たちがいます。たとえば、いじめで子どもが自死した事件がありました。その後、加害者となった子どもの顔写真をはじめ、家族も含めた個人情報が暴かれ、投稿され続けました。被差別部落出身者だとも書かれています。被差別部落を犯罪に結びつける事例はモニタリングの中でよく見受けられます。在日コリアンや障がい者に対しても同様です。

 差別は「情報」としてネット上に放置され続け、拡散されます。こうした状況は、私たちが取り組み始めた時よりも、質的にも量的にもひどくなってきました。発信元となっている人たちと直接やりとりをしたことはありません。ぜひ対話をしたいと思っているのですが。ただ、間接的に話を聞いたり、関係する本を読んだりしました。そして、差別の発信者となった人たちの生い立ちや現在の環境には、複雑なものや自分で抱え切れないものがあるのではと考えるようになりました。

 

「弱さ」「しんどさ」を受けとめ合える社会へ

 少し話がそれますが、私は小中学校の子どもたちに、いじめや人権、差別について考える授業をする機会が多くあります。ただ、人権や差別という言葉は抽象的で伝えにくいものです。ですから、まずは自分が「しんどい」と感じていること、「本当はいやだけど我慢していること」「友だちに言えないでいること」について考えてもらいます。そして、そういうことがあるなら、なぜ友だちに話せないのか、どうしたら話せるのかを一緒に考えます。「差別はいけない。人権を大切に」という伝え方は、どこか他人事のようですよね。差別や人権を「自分ごと」と捉えるためには、まず自分の課題を直視し、そこから楽になるためには何が必要なのかを考えることからだと私は考えます。

 とはいえ、いきなり投げかけても本音は出ません。まずは私から語ります。自分がかつてはいじめる側にいたこと。その時、家族との関係がうまくいっておらず、心が荒れていたこと。被差別部落出身であることがバレたら差別されるのではと恐かったこと。不安や恐怖を隠すために、友だちが嫌がることをしていたこと…。

 すると、「クラスで“いじられる”のが本当は嫌だ」「いじめられた時、誰も助けてくれなくて辛かった」という話が出てきます。さらに話を深めていくと、加害の側になっていた子どもから家庭内でのゴタゴタやコンプレックスを抱え、友だちがうらやましかった、妬ましかったという話がポツポツと語られ始めます。こうしてお互いのしんどさを聴き合い、受けとめていくなかで、子どもたちにとって学校が安心できる「居場所」になっていくのを見てきました。

 ネットの世界でも教室と同じことが起きているのではないでしょうか。もちろん、差別は許せません。ただ、繰り返させないためにも、加害者の責任を問うと同時に孤立させないことを考える必要があります。また、差別がヒートアップし、拡散する背景には、多くの人が黙認することで結果的に容認しているという構図があります。たとえ自分は関わっていなくとも、知っていながら黙っているのでは差別を容認、支持しているのと同じであると、私は思います。

 今、三重県では、私たちの取組に賛同した方々が、ボランティアでモニタリングに参加してくれています。また、全国的にはさまざまな属性をもつ人たちがつながり、広く社会に反差別を訴えていこうというネットワークも生まれました。距離や時間に関係なくつながれるのはネットの強みです。しんどさを抱えた人たちがつながり、支え合うためにこそ、インターネットを使っていきたいと思います。

このページの作成所属
府民文化部 人権局人権企画課 教育・啓発グループ

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