TAV交通死被害者の会事務局 米村幸純さん

更新日:2023年3月13日

被害者等の声(本文は、執筆者の原文どおり掲載)

 (3) 米村 幸純さん(TAV交通死被害者の会事務局) 

【1.事故について】
 
平成8年12月9日午前8時55分、長男泰彦(当時20歳)がミニバイクに乗って通学途中(大阪芸術大学)、富田林市旭丘北交差点(三叉路)を青信号で通過直後に、信号を無視して直進してきた大型トラックに追突され転倒、左後輪で轢かれ、救急車で搬送された近大付属病院救命救急センターにて7時間後に死亡しました。私が病院についたときにはすでに脳死状態で、体にはトラックのタイヤの痕がくっきりとついていました。「午後4時1分」という医師の声が今も耳に残っています。
 加害者が自分の信号無視を当初から認めていたため、「問題のない事故」という扱いを受けていましたが、目撃者の出現で事態は一変しました。刑事裁判で明らかになった事実は、それまで「出会いがしらの事故」と説明されていたこととは大きく異なりました。加害車両は、すでに赤信号で停車していた先行車両の後方から法定を超える速度で接近、それを追い抜く形で右折車線に出て、信号を無視してそのまま直進した、ということでした。右折車線に入った時点で、交差点を通過中の息子を見ていながら、クラクションを鳴らしたのみでブレーキを踏まず、逆にアクセルを踏んで加速し、息子に追いついたのです。間違ったのではなく、故意に加速したことを加害者は「かわせると思った」と言い訳しました。検事は「未必の故意と紙一重のこの悪質な事故を見過ごせば、今後の交通裁判は闘えない」とまで、私たち夫婦に言いましたが、求刑はわずか2年、判決は禁錮1年2ヶ月で終わりました。減刑の理由は、1.老いた父親の扶養、2.本人の反省と被害者への謝罪、3.賠償無制限の任意保険加入、4.自ら過失を認めている ということでした。
 しかし、事故後、私たちに会うことのなかった彼に謝罪する機会があるわけもなく、裁判では「こういったことが二度と起きないことを願います」と他人事のように語り、「今後、車の運転はどうする」との裁判官の問いに「これが終わったらまた取り直す」と、事故を「これ」と表現し、平然と応えていた彼がとても反省していたとは思えません。トラックは会社の所有で、彼自身が任意保険に加入・支払いをしていたわけでもありません。父親の扶養については、加害者側の証人や傍聴人が全くいない裁判では、それを客観的に証明するものは何一つなく、事実であるかどうかもわかりません。何よりも、最終弁論で被告弁護士が「信号を無視し、交差点に侵入してきたトラックに気がつかなかった被害者にも相応の過失がある」と発言したことには驚き、怒りを覚えました。加害者が自分の信号無視を認めざるを得なかったのは、事故直後に現場に駆けつけた人々の前で、息子が加害者に向かって叫んだ「僕の方が青やったのに」という言葉のためだ、と加害者自身の法廷での証言で知りました。病院で「警察の人に行ってこい、と言われたので来た」と私に語った加害者は、その時まで、自分が死亡事故を起こしたとは思ってなく、観念して自身の過失を認めざるを得なかったのです。
 私と家内は、事故の朝、なかなか出かけようとしない息子に「遅刻するから早く行きなさい」と言ったことを今も後悔しています。もっとゆっくりと話を聞いてやっていれば息子は殺されることはなかった、と重い十字架を背負ってこの11年を過ごしてきました。加害者は、刑務所での日々、そして今に至るまで、自分が奪った息子の命についてどう考え、どう思って過ごしてきたのでしょうか、私たちほどの苦しみを感じることはあったのでしょうか。

【2.事件を通じて感じたこと】
 
加害者は、嘘は言ってないけれど、すべてを語っていたわけでもなかったのです。しかし、「自分の過失を認めた正直な人」と警察に評価されていました。過去に違反、違法行為を何度も繰り返し、人身事故さえも起こしていて、検察庁への出頭を何度かスッポカしてもいました。それでも裁判は、被告の刑をどれくらい軽くするかを目的として行なわれている、と感じました。
 加害者自身が「殺人と言われても仕方ない」と証言した悪質な事犯を裁いたのは、「業務上過失致死罪」でした。故意にアクセルを踏み、わざとぶつけたとしか思えない事故が「過失=ミス」として裁かれたのです。死亡事故でも正式起訴され、実刑になるのはわずかで、警察の捜査は、加害者の証言が重視され、ほとんどが加害者有利で進められていることも知りました。事故直後、現場前のガソリンスタンドの店員の「事故を見た」との証言を警察に伝えても、とりあってもらえず、この店員が警察から事情を聞かれたことは最後までなかったのです。捜査を一転させたのは、自主的に出現した目撃者の証言でしたが、そのこと自体が「奇跡」とまで弁護士に言われました。
 事故後、加害者は行政処分が決定する1月の中旬までトラックの運転を続けていたことも裁判で知りました。人を殺しても平然と運転を続けていた彼を、被告弁護人は「この間、安全運転に努めていた」と評価しました。殺人に近い形で人を殺しても、車の運転を続けることができ、失った免許も簡単に再取得できるのです。
 交通事故は、社会と被害者の認識に大きな隔たりがあります。「運が悪かった」「事故だから」という認識で簡単に片付けられることが多く、「運が悪い」ということも、被害者ではなく、加害者に当てはめている場合もあります。死亡事故の大方は違法行為で起きていて、決してミスではなく「犯罪」です。しかし、この「事故だから」という寛大で無責任な認識が、多くの被害者遺族を苦しめ、二次被害の要因ともなっています。

【3.これまでの活動】
 事故直後、家内の「心のケア」を求めて、「全国交通事故遺族の会」に入会しました。当時、家内は家事放棄、育児放棄の状態で、受験を控えた次男、認知症で介護の必要な実母の世話ができなくなっていました。そして、そのことに苦しみ、傷ついてもいたのです。会合では同じ遺族から、「それで当たり前」「みんなそうだった」「無理をしないでいい」「がんばらなくていい」と励まされ、徐々に落ち着いていきました。そして、家内に付き添って会合に出ていたはずの私が、マイクを取り上げられるまで息子のこと、事故のことを憑かれたように話していました。1999年3月、関西在住の遺族仲間を中心に「地元での活動」を重視し、互いに支えあうことを目的とした「TAV交通死被害者の会」設立に参加しました。
 民事裁判が終わった頃、神奈川県の鈴木共子氏が始めた「悪質な交通事犯の量刑見直しを求める署名」を知り、大阪での街頭活動に参加、その後も自分たちの周囲で署名を集め続けたことが縁で2001年7月に「生命のメッセージ展in浜松」への参加を誘われました。そして、同年10月に大阪府門真市、11月には大阪市阿倍野区での開催を担当したことで、2004年夏まで「生命のメッセージ展」事務局を務め、その後「TAV交通死被害者の会」事務局を担当しています。2005年8月と2007年の6月には、亡き息子が作った曲を中心とした追悼コンサートを行ないました。会場ではこれまで関わってきた被害者団体、活動の紹介をおこない、犯罪のない、犠牲者をつくらない、命を大切にする社会を訴えました。
 TAV交通死被害者の会では、奇数月の第2日曜日に定例会、偶数月に交流会を開催しています。また、春と秋の交通安全週間には毎年「門真運転免許試験場(大阪)」と「平針運転免許試験場(名古屋)」にて街頭活動(啓発チラシ配り)とパネル・遺品展示を行ない、来場する方に安全運転をお願いしています。パネルは、平成18年、19年の大阪府主催の犯罪被害者週間行事でも展示されました。
 2005年に国連は、11月の第3日曜日を「世界道路交通犠牲者追悼の日」(世界交通事故犠牲者の日)と定めました。TAVでは、2007年11月に初めて大阪と名古屋で街頭活動を行ない、会員には、それぞれの事故現場に「黄色い風車」と「白い花」を供えることを提案しました。今後も会の定例行事として継続していく予定ですが、交通安全対策に携わっておられる方々には、この日に合わせて「慰霊祭」を開催していただくようお願いしたいと思います。厳罰化や道路整備なども急務ですが、ハンドルを握るドライバーの心に訴え、啓発していくことは根本的な問題解決につながるものではないかと思います。

【4.問題点・課題】
 署名活動は、37万人以上の市民の賛同を得て、2001年秋に国会での「危険運転致死傷罪」可決の原動力となりました。この法律は、悪質な交通事犯は犯罪であることを社会に示すことはできましたが、「故意犯」であることの立証の難しさや、飲酒運転の加害者がそのまま逃走(ひき逃げ)するなどの「逃げ得」が起き、その運用面での難しさが問題となり、事故の抑止力になっていないのが現状です。TAVでは、当初四輪に限定されていた「危険運転致死傷罪」の二輪への適用と同時に、交通事故に適用されている「業務上過失致死傷罪」の上限引き上げを求めてきました。2007年6月、危険運転に当たらない悪質な交通事犯にも対応できるようにと、自動車による交通死傷事件に対して「自動車運転過失致死傷罪」が新設されましたが、遺族団体の多くが望んでいた上限10年ないし15年以上にはほど遠い7年に留まり、「過失」という文言も残りました。
 2007年1月に「TAV交通死被害者の会」、「交通事故遺族の声を届ける会」、「北海道交通事故被害者の会」の推薦で法制審議会委員になり、交通事故の被害者の立場を代弁して法改正に尽力をいただいた松本誠弁護士が、同年6月に事故で急逝しました。TAV設立時からの協力弁護士としてだけではなく、被害者遺族全体のよき理解者、支えであっただけにその衝撃は大きなものでした。氏に続く被害者の立場に立った弁護士の出現が待望されます。

【5.社会や行政に求めること】
 
交通事故の遺族は、犯罪被害者として扱われず、認められなかった時代が長くありました。また、損害賠償制度が確立しているため、「交通事故=お金で解決」と錯覚もされています。賠償保険は、本来は被害者を救済するためにありますが、加害者の免罪、減刑の道具になっている事実もあります。賠償金で取り戻せる命はありません。亡くした命はひとつ、決してリセットはできないのです。
 飲酒に限らず、死亡事故を初めとする重大事故の多くは法律違反によって引き起こされている犯罪です。その認識を社会がもたないと悪質な交通事犯が減ることはありません。ドライバーが法律を遵守さえすれば失われなかった命があるのです。
 捜査段階では、先入観や勘に頼らず科学的で客観的な捜査を願っています。また、早い段階での捜査情報の開示も望みます。
 被害者は、偶然にその場にいたために命を失いますが、加害者は必然ともいえる要因を持っていて、特に死亡事故を起こすドライバーは、事故原因について常習ともいえる違反行為を繰り返していることが多いのです。「誰もが加害者になりうる」のではなく、「誰もが被害者になりうる」のです。私たちは、誰一人として「犯罪被害者等」と呼ばれる存在に好んでなったわけではありません。加害者になることは自分の意思で防げますが、被害者は自らの意思とは無関係に被害にあいます。自動車を運転する適正に欠ける人や、「車は人の命を奪いかねない危険な道具」という認識に欠ける人に免許を与えることを防ぐことはできないのでしょうか、死亡事故を起こしたドライバーの免許の再交付と同時に真剣に議論されるべき時が来ているのではないでしょうか。
 「犯罪被害者等基本法」「基本計画」の影響を受けてか、行政や矯正施設から会員への講演依頼が増えましたが、「なぜ遺族の話が必要か」という説明がない場合や、成果や感想を聞かせてもらうこともほとんどありません。遺族の話が始まると担当者が退席、施設側は誰も聞いていないということもあり、その姿勢に疑問を抱くことも多くあります。日程を決めて会員を紹介したにもかかわらず、その後の連絡がないこともありました。遺族にとって、事故のことを話すことは大きなストレスを感じ、簡単なことではありません。矯正施設や免許停止処分者への講話であればなおさらで、「単に免罪符を与えるだけではないか」との葛藤が常にあります。それでも、事故を減らし犠牲者を無くすためにと話す決心をします。事故報道があるたび、事故時にフラッシュバックする遺族もいます。それは事故後の年数経過とは無関係だということをぜひ理解してください。事故を減らす活動を行なうのは、それは「もう悲惨な事故報道は見たくない」、「二度と同じ悲しみを見たくない」という思いがあるからです。遺族の話を決して使い捨てにはしてほしくないのです。
 ある中央官庁を訪問した時、「役所は申請主義」「当局のホームページにすべて記載している」「本屋に行けば交通事故処理について書籍がたくさんあるのに、何でも聞いてくる」と言われました。誰しも、自分が被害者になることを想定し、役所の制度に習熟しているわけではありません。簡単に「申請しろ」と言われても制度を知らなければ何もできません。また、家族を亡くした直後に本を探しに行くことも、読む余裕などもありません。被害にあった時、誰もが(被害者でなくてもその周囲)すぐに気がつき、思いつく、そんなわかりやすい窓口、その周知のための広報とシステムの整備を期待しています。一つの窓口ですべての手続きが完了する、といったことも望みます。
 自治体では、交通事故の相談窓口を設けられているところが多くあります。しかし、加害者も被害者も同じ窓口で受けつけていることはないでしょうか。被害者支援のためならば、双方の窓口は分けていただきたいと思います。
 ある支援センターに電話をかけた会員が、「交通事故で家族を亡くした」と言った途端に「うちは殺人等の被害者のためにある」と相談を断られたそうです。被害者は、やっとの思いで電話をします。そこで打ち切られたらもう電話をできなくなります。切り捨てられるぐらいなら、「たらいまわし」の方が、まだ次につながる可能性があります。まず、話を最後まで聞いてください、手に負えないこと、管轄の違うことであれば、どこがいいかを考えてください、「ここではありません」と言って終わらないでください。専門家にとって日常のことであっても、被害者は初めてのことであり、当たり前のことではないのです。善意から発せられる慰めの言葉で遺族が傷つく、ということもあります。

【6.地域社会、市町村に求めること】
 
支援とは、with(振り向けば、静かに側にいて支えること)であり、give(強者が弱者を庇護という考えにたった支援)ではないと思っています。支援することを自分のこととして考えることは、自分とその家族にとっても大切なことで、被害者支援は、「国民の安全と生命、人権」の問題です。
 遺族にとって、厳罰化とは「事態の重要性を社会に理解をしてもらう」ことでもあり、犠牲者をこれ以上出さない、同じ悲しみを繰り返さないことが最大の願いです。すべての犯罪は「他人への権利侵害と命の軽視」から起きています。教育現場での「命の重み」に対する取り組みを期待しています。

TAV交通死被害者の会からの意見
・相談できるところが全くわからなかった。
・家族のいないもの(母一人、子一人で子を亡くす)には、 身一つで動きが取れず大変だった。
・事故後の精神的混乱の時期に警察の事情聴取に付き添ってくれる人がほしい
・被害者の住む自治会等に顔見知りのサポーターがいて、直ちに駆けつけ、何か手助けできることがないか。声掛けだけでもしてくれたら、支えられていると思うことができる。

このページの作成所属
政策企画部 危機管理室治安対策課 支援推進グループ

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