大和川今池遺跡(やまとがわいまいけいせき)

更新日:2017年3月30日

所在地:松原市天美我堂五・六丁目

種類:集落跡

時代:旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、中世

調査期間:平成27年 2月から5月

主な遺構:平安時代の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)、井戸、土坑(どこう)など

主な遺物:須恵器、土師器、黒色土器、瓦器(がき)、陶磁器、瓦など

大和川今池遺跡は、松原市・堺市・大阪市にまたがる遺跡です。

旧石器から中世にわたる複合遺跡として知られており、これまで多くの発掘調査が行われています。

今回の調査は、府道堺港大堀線(さかいこうおおぼりせん)の道路拡幅工事に先だつもので、道路に沿う延長126メートルを対象としています。

調査の結果、調査区の東側では平安時代の屋敷地が、西側では中世の屋敷地が発見されました。

今回は遺物整理が進んでいる東半分の調査結果をお知らせします。

調査区の東側の平安時代の屋敷地からは、たくさんの柱穴、土坑(どこう)、溝、井戸などが発見されました(写真1)。

このなかで現在6棟の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が復元できています。いずれの建物も正方位に近い主軸をとります。中央の大きな穴は屋敷内に掘られた井戸です。

また写真の奥(屋敷地の東側)に南北方向の8条の細い溝が見つかり、耕作地の跡と考えられます。現在も使われている屋敷地と耕作地の間の南北方向の道路は、条里地割の坪境(つぼざかい)にあたっていますので、これを境として屋敷地と耕作地に分かれていたと考えられます。

【写真】調査地東側かたみつかったほったてばしらたてものとみぞ

■写真1 調査区東側から見つかった掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)、耕作跡(西から)

写真2は、もっとも大規模な掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)(2間×3間)で、規模は3.8メートル×7.3メートルあります。柱穴は約60センチの方形で、深さは約40センチあります。柱穴から平安時代の黒色土器や瓦が出土しています。

【写真】調査地中央で見つかった建物

■写真2 屋敷地西側で見つかった掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)(西から)

写真3は、平安時代の井戸の底の様子です。直径2メートル、深さ1.5メートルの穴を掘って、その中に丸太を井桁に組み、周囲を板材で囲っています。井戸底に見えているのは、平安時代初頭の須恵器壷(つぼ)です。また周囲を囲う板材は、収納用の木箱である倭櫃(やまとびつ)を解体して、再利用したものです。

【写真】やまとびつをいどわくにてんようした井戸

■写真3 倭櫃を転用した井戸枠(東から)

大和川今池遺跡における過去の調査は、大部分が遺跡の北半におけるものです。遺跡南端部の様子は全くわからなかったのですが、平安時代から中世にかけての屋敷地と耕作地が確認できたことが今回の調査の大きな成果となりました。古代、狭山池下流域の土地開発の歴史を明らかにしていく上で、重要な成果となるものです。

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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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