これまでに奈良時代の後半から平安時代にかけての水田跡と建物の一部と考えられる柱穴列(ちゅうけつれつ)などが見つかっています。
水田跡は、畦を挟んで若干の高低差を付け、水口(みなくち)を設けて順番に水が行き届くように作られていたことが解ります。
高い側の水田の一部は、しばらくすると整地され一辺約80センチメートルを測る大きな柱穴を持つ建物が建てられ、昨年度までに西側の調査区で見つかった建物群が東側に広がった様子が窺われます。
写真は見つかった大きな掘方(ほりかた)を持つ柱穴列で、左側の低い部分は水田の跡と考えられます。
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教育庁 文化財保護課 保存管理グループ
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