河南町芹生谷(せるたに)遺跡 現地公開資料

更新日:2017年3月31日

はじめに

   大阪府教育委員会は国道309号河南赤阪バイパス建設に伴って、河南町中(なか)で芹生谷(せるたに)遺跡の発掘調査を継続して実施しています。今回、道路予定地の北端約200メートルについて、平成24年9月より2,100平方メートルを発掘調査しました。
   芹生谷(せるたに)の地は金剛・葛城山系の西斜面に位置し、古代より南河内と大和を結ぶ交通の要衝として重要な位置にあたるところです。周辺は北に向かってなだらかに傾斜する斜面をひな壇造成したのどかな田園風景が広がり、河南(かなん)台地とよばれています。現在も条里(じょうり)地割による水田区画を良好にとどめます。
   今回調査地のすぐ南には『 国史跡金山古墳(かなやまこふん) 』( 双円墳・全長85.8メートル )があり、古墳の営まれた6世紀後半には、この地で活躍した豪族がいたようです。
   今回調査では、同時期の竪穴住居跡・掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)などが検出されました。

調査成果

   今回の調査は、南北長さ約200メートル、東西約12メートルにわたって発掘調査しました。調査区は北半分を「1区」、南半分を「2区」としています。なお、1区については建物跡の検出された部分をのぞいてすでに埋め戻しています。
  

  【1区】 北端は深い谷地形で、生活の痕跡は見られませんでした。
   中央付近では幅3.2メートル、長さ3.0メートル以上の中央付近では幅3.2メートル、長さ3.0メートル以上の1間×2間以上の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)(建物1)が検出されました(写真1)。建物1は主軸を北東から南西に向けます、これは付近の地形にそって建てられていることがわかります。建物1の付近から古墳時代後期(6世紀後半)の須恵器・土師器などの土器が発見されました。
   南端では長さ8.0メートル、幅4.2メートルの4間×2間の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)(建物2)が検出されました(写真2)。建物2は主軸をほぼ東西方向にむける東西棟で、東半分は総柱となります。西側に入口があって土間や台所となり、東側に居住空間があったと推定されます。建物2の周辺から南北朝時代の瓦質(がしつ)土器・土師質土器などが発見されています。また、中国製の青磁碗の破片も発見されています。
 

【2区】 南端で一辺5.4メートル、深さ約0.15メートルの方形の竪穴住居跡(竪穴2-1)とすこしこぶりの(竪穴2-4)が重なって検出されました(写真3)。竪穴2-4を埋め戻した後に、竪穴2-1が建替えられています。竪穴2-1は地形にそって営まれ、1区において検出した建物1と軸線をほぼ同じくし、約200メートル南に位置する金山古墳(かなやまこふん)の方向に入口を向けます。竪穴住居跡の北側には造りつけカマドの痕跡が残されていました。住居跡からは古墳時代後期(6世紀後半頃)の須恵器・土師器が発見されました。
   北端では竪穴2-1とほぼ同規模で軸線を同じくする竪穴住居跡(竪穴2-2・竪穴2-3)が検出されました(写真4)。竪穴2-2は北壁の中央に造りつけカマドをもうけ、四隅に柱穴があります。竪穴2-3と竪穴2-2はほぼ重なるように作られています。竪穴2-3から竪穴2-2に建て替えられて、同じ場所で生活が営まれたことがわかります。二つの住居からも、古墳時代後期(6世紀後半頃)の須恵器・土師器が発見されています。

まとめ

   今回の調査では古墳時代後期の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)が1棟、竪穴住居跡が4棟、南北朝時代の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が1棟検出されました。発見された土器などは古墳時代後期(6世紀後半頃)と南北朝時代(14世紀前半頃)のものが大半で、調査区の全域から発見されています。
ただし、現在の調査区周辺は水田区画が整備され、旧地形が大きく改変されています。今回、建物跡が残されていた部分は、かろうじて旧地形が残っていた部分に限られるといえます。
   竪穴住居跡は6世紀後半頃のもので、大阪府内で発見された同時期の竪穴住居跡の中では大型に属します。また、わが国では旧石器時代以来、連綿と竪穴住居で生活が営まれてきましたが、今回発見の住居は府内では最終段階のものです。掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)を基本とする集落への移行段階を知る手がかりとなります。
   その居住者は、地元に根ざし、伝統的な竪穴住居を好んだ人たちだったのかもしれません。あるいは、発見された土器が6世紀後半の一時期に限られることから、金山古墳(かなやまこふん)を造営した集団のキャンプ地だったのかもしれません。発掘調査は今後も継続して実施される予定で、集落の実態解明が期待されます。

【図と写真】ほったてばしらたてもの、竪穴住居と発見された遺構の平面図

印刷用資料はこちらです [PDFファイル/708KB]

 

  

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教育庁 文化財保護課 保存管理グループ

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