所在地: 南河内郡河南町芹生谷(せりゅうたに)
種類: 集落跡
時代: 古墳時代から室町時代
調査期間: 平成25年6月から平成26年2月
主な遺構: 古墳時代後期の竪穴住居跡、掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)、大溝など
主な遺物: 須恵器、土師器、瓦器(がき)、中国製磁器 など
芹生谷遺跡(せるたにいせき)は、河南台地の中央にある集落遺跡です。
台地は千早赤阪村の水分神社(みまくりじんじゃ)からながれる用水によってうるおされ、用水のほとりには全国的にも珍しい双円墳(そうえんぷん)の国指定史跡金山古墳(かなやまこふん)があります。
この古墳は六世紀後半に営まれたもので、石室におさめられた家形石棺(いえがたせっかん)はこの時期の古墳の年代を位置づける指標となっています。
今回の調査は、前年度に引き続いて行われたもので、古墳時代後期(六世紀後半)の一時期に営まれた竪穴住居跡四棟が発見されました。
竪穴住居跡は一辺5メートル程度の大型で、四隅に柱穴があり、北側にカマドをそなえます。建て替えの痕跡があります。
住居内からは煮たきに使う土師器甕(かめ)、食器の須恵器蓋杯(ふたつき)などがみつかりました。
さらに、金山古墳(かなやまこふん)の東側から北に向かって伸びる一条の大溝が発見されました。
溝は砂で覆われ、底から西暦600年頃の須恵器がみつかりました。 推古朝の頃の水利施設の一部と思われます。
この大溝は後世の条里制(じょうりせい)によって水田区画が変更されると真北に流れるようになり、その溝の中からは中世の瓦器碗(がきわん)、近世・近代の陶磁器がみつかり、現在に至るまで水田の水路として使われ続けたようです。
■竪穴住居の発見状況
■大溝の調査状況
このページの作成所属
教育庁 文化財保護課 保存管理グループ
ここまで本文です。