高石市 大園遺跡現地公開資料

更新日:2017年3月31日

大園遺跡現地公開資料

はじめに

大園遺跡は、高石市から和泉市・泉大津市にまたがる東西1.3キロメートル、南北1.2キロメートルの広い遺跡です。昭和42年の第二阪和国道建設にともなう分布調査で知られて以来、約2万年前の旧石器時代から近世にいたるまでの遺跡であることが分かってきました。特に、古墳時代中期から後期の建物が多く発見され、集落研究の良好な資料として注目されてきました。

このたび、高石市綾園(あやぞの)6丁目14-19で宅地開発が計画され、高石市教育委員会では、株式会社東昌(とうしょう)ホールディングスの協力を得て、平成27年5月12日から335平方メートルを発掘調査しました。なお、発掘調査にあたっては、大阪府教育委員会の指導・協力を得ました。

調査の成果

(遺構)

地表下0.6から1メートルほど掘り下げると、柱穴・土坑(どこう)・溝などの遺構が見つかりました。

主な遺構としては、弥生時代前期(約2,300年前)の土器群や土坑(どこう)、弥生時代後期(約1,800年前)の柱穴・土坑墓(どこうぼ)、古墳時代中期(約1,500年前)の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)・溝などがあります。

大園遺跡で、弥生時代前期の遺構が確認されたのは初めてのことです。

(遺物)

弥生時代前期では、前期末の壺(つぼ)・甕(かめ)・鉢・蓋などの土器とサヌカイト製の石の矢じり・石のキリ、緑色片岩(りょくしょくへんがん)製の石包丁などが出土しています。弥生時代中期・後期の遺物は、壺(つぼ)・甕(かめ)・高坏(たかつき)・製塩土器などです。古墳時代の遺物としては、土師器・須恵器・埴輪・イイダコツボ・製塩土器などが見られます。注目されるのは、古墳時代中期の、保存状態の良い円筒埴輪、朝顔形円筒埴輪、鶏形(にわとりがた)・盾形(たてがた)などの形象埴輪がたくさん含まれていることで、近くに古墳があったことを物語っています。その他、飛鳥時代(あすかじだい)・奈良時代の土師器・須恵器や陶硯(とうけん)(風字硯(ふうじけん))なども出土しています。

用語解説

弥生時代 約2,500年前から約1,800年前

稲つくりの技術が伝わり、水稲農耕による食糧生産をおこなう定住的な集落がつくられるようになった時代。石器のほか、青銅器や鉄器も使われた。

古墳時代 約1,800年前から約1,400年前

地域の王やそれをまとめる大王(だいおう)が古墳とよばれる大きな墓をつくった時代。大王や王は、自分の立場や権力を古墳の大きさや形で表したとされる。中央集権的な国家の成立を準備した時代。

掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)

地面に掘った穴に柱を立ててつくった建物。縄文時代からあるが、古墳時代では竪穴建物もまだ一般的に見られる。柱穴の規則的な配置によって存在がわかる。

土坑墓(どこうぼ)

地面に掘られた穴を一般的に土坑とよぶ。土坑墓(どこうぼ)は、そのような地面の穴に遺体を埋葬したお墓のこと。

弥生土器(やよいどき)

弥生時代につくられた素焼きの土器。野焼きによって600から700度くらいで焼かれる。時期によって、形や文様に変化が見られ、それを指標として弥生時代を前記・中期・後期の3時期に区分するのが一般的。

土師器(はじき)

弥生土器の系譜をひく、古墳時代から平安時代につくられた軟質素焼きの土器。技術的には弥生土器と大きく変わらないが、胎土はより精良になる傾向がある。

須恵器(すえき)

あな窯を用いて1,200度以上の温度で焼かれた硬質の土器。酸素の供給をおさえた還元炎焼成による灰色の色調を特徴とする。朝鮮半島の陶質土器の系譜をひき、5世紀前半に渡来系の人々によって技術が伝えられた。時期による形の変化が明確で、時間のものさしとなる。

風字硯(ふうじけん)

平面系が風という字の形に似る硯で、中国唐時代にはじまる。大園遺跡で出土したものは、須恵質で、日本製。

埴輪(はにわ)

古墳に立て並べられた土製品。円筒埴輪と形象埴輪がある。最初にあらわれたのが土管状の円筒埴輪で、その後、家形(いえがた)埴輪・器材埴輪・船形埴輪・動物埴輪・人物埴輪などが現れる。

サヌカイト

安山岩の一種。香川県金山(かなやま)や大阪・奈良府県境の二上山((にじょうざん)が主な産地である。固い均質な石で、打製石器(だせいせっき)の製作に適し、黒曜石と並ぶ代表的な石器の素材。

大園古墳(おおぞのこふん)

高石市西取石(にしとりいし)8丁目に所在する墳丘(ふんきゅう)全長約47メートルの前方後円墳。一般的なものより前方部が小さく、帆立貝型とも呼ばれる。昭和48年の発見時点で墳丘(ふんきゅう)上部はすでに削られていたが、墳丘(ふんきゅう)基底部と周濠(しゅうごう)が残り、周濠(しゅうごう)から円筒埴輪、検証埴輪(人物・馬形(うまがた)・鶏形(にわとりがた)・家形(いえがた)・草摺形(くさずりがた)・盾形(たてがた)・靭形(つきがた)・蓋形(きぬがさがた)など)、須恵器が出土した。5世紀末から6世紀初頭の築造とされる。

【図】発掘調査地位置図と明治時代の地図に調査地をおとした図面

今回の発掘調査地                                  明治18年に測量した地形図上の調査地

 【写真】発見された弥生時代前期のどきぐんとどきぐんからしゅつどした弥生土器

 弥生時代前期土器群                                    土器群出土弥生土器

【図】はっけんされた遺構の模式図

確認された遺構(模式図)

【写真】遺構全景写真 石のやじり、たてのかたちをもしたはにわ、にわとりをもしたはにわ 

 

 

 【写真】円筒埴輪、須恵器のつきふた、すえきのいいだこつぼ、ふうじけん

 

 

 

 印刷用はこちらから→大園遺跡現地公開資料 [PDFファイル/541KB]

このページの作成所属
教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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