太井遺跡(おおいいせき)
所 在 地:河内長野市太井(おおい)
種 類:散布地
時 代:縄文時代・中世
調査期間:平成24年6月から平成24年7月
主な遺構:南北朝期の建物跡、土坑(どこう)、溝
主な遺物:瓦器(がき)・土師質土器・青磁
太井遺跡は、和泉山脈を水源とする石見川(いしみがわ)によって形成された川上谷と呼ばれる谷の中ほどにある遺跡です。石見川(いしみがわ)に沿うように国道310号が通っていますが、この道は大沢峠道と呼ばれ、古くから大阪と奈良を結ぶ幹線道路でした。
これまでの調査で、中世の屋敷跡や墓、縄文時代後期の土器が出土しています。
今回の調査では、南北朝期の建物跡、土坑(どこう)、溝などを発見し、この地が集落跡であることがわかりました。遺構を覆う土や遺構の中には焼けた土や炭が混じっており(焼土層)、集落が火災にあったことがわかりました。この近辺では、河内長野市教育委員会による調査も実施されており、同じように焼けた土や、炭の混じった土の中から遺物が出土しています。
火災の後、集落は再建されず耕作地になっており、別の場所に移り住んだと思われます。
現在は、石見川に向かって形成される谷を開発し、棚田や住宅地になっています。
棚田の一段一段を掘り下げると、南北朝期の建物跡・土坑(どこう)や溝が発見され、当時はこの地に人々が集落を営んでいたことがわかりました。
土坑からは、こぶし大の石に混じって多量の瓦器碗や土師質土器の小皿や羽釜などの日常雑器が捨てられていました。
焼土層(しょうどそう)はよく残っているところでは、約30センチの厚みがあります。
このページの作成所属
教育庁 文化財保護課 保存管理グループ
ここまで本文です。