大県遺跡(おおがたいせき) 東高野街道(ひがしこうやかいどう)

更新日:2017年3月30日

所在地:柏原市平野(ひらの)二丁目 

種類:集落跡

時代:縄文時代から中世

調査期間:平成25年 4月から9月

主な遺構:東高野街道側溝(そっこう)、鍛冶関連遺構、竪穴住居など

主な遺物:須恵器、土師器、弥生土器、銅銭(どうせん)、銅鏃(どうぞく)、鉄滓(てっさい)、鉄塊(てっかい)など

 大県遺跡は、柏原市平野(ひらの)から大県(おおがた)にかけて広がる、集落遺跡です。今回の調査は、昨年度に引き続き、一般国道(旧)170号の道路拡幅(どうろかくふく)工事に伴う発掘調査です。

これまでの調査で、縄文時代の流路(りゅうろ)跡や縄文土器、弥生時代の竪穴住居、古墳時代から奈良時代頃の鍛冶(かじ)関連遺構や遺物が数多く見つかっています。

 今年度の調査では、現道路(一般国道(旧)170号)の下層から、古代から中世に相当する、東高野街道の東側の側溝(そっこう)が見つかりました。

側溝の近くから、皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)を含む銅銭(どうせん)が複数枚出土しています。

また、古墳時代前期から中期頃の鍛冶(かじ)関連遺構が見つかりました。操業後、廃棄(はいき)した状況がみられ、遺構のなかから、鉄滓(てっさい)やフイゴの羽口(はぐち)などとともに、多くの石や遺物が出土しました。

中でも、ウマの歯や骨が多く混じって出土しており、鍛冶(かじ)遺構とウマとの関連が課題としてうかがわれます。

さらに下層から、弥生時代の竪穴住居が見つかりました。 住居内から、ほぼ完全なかたちの弥生土器甕(かめ)や高坏(たかつき)などが幾つか出土しました。

調査中には、弥生時代後期から古墳時代前期頃と考えられる、銅鏃(どうぞく)なども見つかりました。  

【写真】B区 ろ73、77 (北から)

 (写真1)B区 炉73・77 検出状況(北から

 【写真】C区 ろ59

  (写真2) C区 炉59 検出状況

 【写真】フイゴはぐち出土状況                                   

 (写真3) B区 炉77出土 フイゴの羽口             

【写真】どうぞく出土状況  

 (写真4) B区 銅鏃(どうぞく)出土状況

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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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