西福井遺跡(にしふくいいせき)

更新日:2017年3月30日

所在地:茨木市東福井二丁目・西福井三丁目

種類:集落跡

時代:縄文時代から中世

調査期間:平成27年11月から12月

主な遺構:掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)、井戸跡、耕作痕

主な遺物:縄文土器、磨製石斧(ませいせきふ)、須恵器、土師器、瓦器(がき) 

 

西福井遺跡(にしふくいいせき)は佐保川(さほがわ)右岸の沖積地から低位段丘(ていいだんきゅう)にかけて所在する遺跡です。

昭和57年度に大阪府立福井高等学校建設の際に発見され、翌年に発掘調査を実施しました。

その結果、遺跡は縄文時代から中世にかけての複合遺跡であり、各時代の建物跡、井戸跡や11基の古墳が発見されるなど、大変大きな成果を得ることができました。

 

今回の調査は、福井高校の東側を南北に走る一般府道余野茨木線(よのいばらぎせん)の歩道整備工事に先立ち、平成2711月から実施しました。

調査の結果、中世の時期の小ピットが等間隔に四つに並ぶ遺構を検出しました。

これは掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)もしくは柵列遺構(さくれついこう)と思われます。

また同じく中世の時期の根石(ねいし)を置いた小ピットが二つ並ぶ遺構も検出しました。

建物跡の可能性があります。

これ以外に、少し時期は新しくなりますが、井戸跡も検出しました。

 

これらの遺構の廃絶後は、付近一帯は田畑となり、その痕跡である鋤溝を検出しました。

田畑の耕作土層は複数枚重なって見つかっています。

これは中世から近世、現代までの数百年間にわたって連綿と田畑を維持したことをよく現していると言えます。

 

出土遺物には、中世の土師器や、奈良時代及び古墳時代後期の須恵器などがあります。

さらに特筆すべき出土品としては、縄文時代後期の北白川上層式土器(きたしらかわじょうそうしきどき)、磨製石斧(ませいせきふ)の小片が、下層から出土しました。

周辺にこれらの時代の遺跡が存在することを窺わせます。

【写真】調査区全景写真

■ 発掘調査区の全景

【写真】等間隔に並ぶ四つの小ピット

■ 等間隔に並ぶ四つの小ピット

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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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