長原遺跡(ながはらいせき)

更新日:2017年3月30日

所在地:大阪市平野区長吉川辺(ながよしかわなべ)3丁目

種類:集落・古墳

時代:旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世

調査期間:平成26年1月から6月

主な遺構:古墳時代の方墳(ほうふん)・飛鳥(あすか)時代の溝・平安・鎌倉時代の畑

主な遺物:石器、埴輪、須恵器、土師器、緑釉陶器(りょくゆうとうき)

大阪広域水道事業団の長吉立坑(ながよしたてこう)築造工事に伴い、平成26年1月から6月まで発掘調査を実施しました。その結果注目すべきものとして古墳時代中期の方墳と飛鳥(あすか)時代の溝が見つかりました。

 方墳(ほうふん)は一辺が10メートル程の小さな古墳の周溝(しゅうこう)と墳丘(ふんきゅう)の隅付近を見つけました。近隣の調査では同様の方墳(ほうふん)が6基見つかっていて、これらと一群(いちぐん)をなすものです。残念ながら、埋葬部(まいそうぶ)や遺物は見つかりませんでしたが、長原古墳群(ながはらこふんぐん)の拡がりや、構成を考える上で貴重なものです。

 飛鳥時代(あすかじだい)の溝は幅0.5メートルから1メートルで、南東から北西に延びています。近隣の調査でも確認していて、延長60メートルが見つかっています。掘られた時期は不明ですが、遺物の出土から7世紀後半に埋まってしまったことが分かりました。今回の調査では溝の両側を整地するなど丁寧な造りですが、作られた目的などは不明です。

 遺物では、縄文時代の石鏃(せきぞく)・石製投弾(せきせいとうだん)・石器を作る時に出る剥片(はくへん)が見つかり、このあたりが狩猟場であったことや、石器を作っていたことが分かりました。また、奈良時代の遺物では、当時貴重である緑釉陶器(りょくゆうとうき)の埦が見つかりました。

【写真】あすかじだいの溝

飛鳥時代(あすかじだい)の溝 遺物の出土状況から7世紀の後半にはほぼ埋まってしまったことが分かっています。

【写真】発見された小さなほうふん

小さな方墳(ほうふん) 近隣の調査で見つかった古墳時代中期の方墳(ほうふん)と向きが同じです。時期も同じと思われます。

主要な出土遺物

主要な出土遺物 上の段 左:飛鳥時代(あすかじだい)の溝出土須恵器坏(つき) 右:奈良時代の緑釉陶器(りょくゆうとうき)埦

                              下の段 右端:円筒埴輪の破片 左から:石製投弾(とうだん)、石鏃(せきぞく)3点、剥片(はくへん)接合資料

 

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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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