禁野本町遺跡(きんやほんまちいせき)

更新日:2017年3月30日

所在地:枚方市禁野本町(きんやほんまち)

種類:集落跡

時代:6世紀後半、8世紀後半から10世紀

調査期間:平成23年6月10日から平成23年12月27日

主な遺構:6世紀後半:竪穴住居、土坑(どこう)など

        8世紀後半から10世紀:掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)、土坑(どこう)、道路側溝、溝など

主な遺物:土師器、須恵器、陶器、磁器、瓦など

 禁野本町遺跡(きんやほんまちいせき)の南側には奈良時代から平安時代の百済王氏(くだらのこにきし)の氏寺と考えられる「百済寺跡(くだらじあと)」があり、本遺跡はその一族の居住域と推定されています。

調査区は、府道に沿う東西約105メートル、幅6メートルから10メートルの範囲です。中央部分で、南北方向の浅い谷地形が確認でき、その両側で居住域(東・西居住域)が見つかりました。

東居住域では、柱穴群と南北に並行する2条の溝状遺構が見つかりました。写真の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)は北側調査範囲外にのびます。また溝状遺構は、道路側溝と考えられます。他に6世紀後半の竪穴住居と小さな土坑(どこう)も確認されています。

西居住域では、多数の大きな柱穴が密集して見つかりました。庇を備えた立派な掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)も確認しています。東西方向の溝状遺構は、道路の北側の側溝の可能性があります。

【写真】東居住域(東から)  上部の遺構の希薄部分が谷地形、中央やや上は6世紀後半の竪穴住居、手前の南北方向の2条の溝は道路側溝か。

東居住域(東から)  上部の遺構の希薄部分が谷地形、中央やや上は6世紀後半の竪穴住居、手前の南北方向の2条の溝は道路側溝か。

【写真】6世紀後半の竪穴住居(東から)

6世紀後半の竪穴住居(東から)

 

西居住域(東から)  中央に庇を持つほったてばしらたてもの、 左の府道に沿う東西方向の溝1条は道路の側溝か

西居住域(東から)  中央に庇を持つ掘立柱建物、 左の府道に沿う東西方向の溝1条は道路側溝か。

 

 

 

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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ

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